センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

「ありのまま」を考察する


ありのままでいい。


ありのままで生きればいい。



そうなんだよ。そう思うんだよ。



でも、それは



ありのままを受け入れる寛容な社会が


あってこそ。




発達障害の子どもを見ていると


ありのままで生きることの難しさを


痛感する。



私たちは 毎日のように


その子どもを注意する。



叩いちゃダメ! 蹴っちゃダメ!


首を締めちゃダメ!



大人はいい。それが仕事なのだから。


叩かれようが、蹴られようがいい。



しかし、他の子どもには困る。


小さい体ではあるが


ぶつかられたら痛いし 蹴られたら嫌だ。



せっかく作ったレゴを壊されたくないし


使っているおもちゃを取られたくはない。



靴も履かずに飛び出されるのは困るし


罵詈雑言も見過ごせない。



他の子どもからのクレーム


他の保護者からのクレーム



面積に対して多すぎる子どもたちの中で、


ひときわ目立つその子どもの行動に


私たちは翻弄される。



二人の発達障害の子どもたちは


それぞれに叫ぶのだ。



「俺をバカにするな!」



この言葉がいつも胸を刺す。



この子たちは賢いのだ。


行動パターンが「普通」と違うだけだ。



そして、行動パターンが違うから


「変な子」で、「おかしい子」で


「迷惑な子」なのだ。



私は 不器用な自分やダメな自分を


見捨てないために



ありのままでいい


ありのままで生きればいい



と、自分に言い聞かせてきたし


世の中も そんなふうにつぶやくけれど



本当かい?


その「ありのまま」は条件付きじゃない?



「俺をバカにするな!」


という彼らの叫びに



私はまだ、


納得のいく答が出せないでいる。