センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

「ブルシットジョブ〜クソどうでもいい仕事」


前に 新聞の本の紹介欄で


このタイトルを見つけた。



「クソどうでもいい仕事」という日本語が


私のツボにはまる。



この本は読んでいないけれど


ざっとこんなことらしい。







ブルシットジョブと思われる仕事ほど


賃金が高いが、



エッセンシャルワークのように


人から必要とされる仕事は低賃金である。



それは、何故か。



エッセンシャルワークは人の役に立つ、


ということが効用となるので


低賃金に抑えられているのだと言う。



つまり やりがい搾取というやつだ。



役に立つ仕事に就いている、ということが


そもそもご褒美でしょ、ということか。




ツボにはまった私は考えた。


私にとっての「クソどうでもいい仕事」とは


何だろう?







普通学級での発達障害の子どもについて


一昨日のブログに書いたが




今でも、


「あの子はどうしているだろう?」


と、気になる子どもがいる。




初めて会ったとき あの子は1年生だった。




その年度が始まったばかりの頃、



まだ春休みで 家にいた私は


教頭先生から電話をもらった。



今年度、給食の介助が必要な1年生がいるが


介助してもらうことは可能か?



という問い合わせだった。



普通学級で 給食の介助が必要なんて


どういうことなのだろう?



それに 介助の仕事は


普通は介助アシスタントが担う。



だが、仕事として求められていることなら


もちろん、断る理由はない。




そうして


あの子の支援が始まったのだった。




あの子は 笑顔のかわいい子だった。


声は出るが 言葉は出ない。



歩くことはできるが、


階段は介助が必要だった。



そして、まだ紙パンツをはいていた。



あの子には


主に介助アシスタントが付いたが



授業の全時間をカバーできなかった。



その年度に使える予算の問題があるし


介助アシスタントが来れない日もあった。



そこをカバーするための私だったのだ。




しかし


介助アシスタントも私も



あの子の情報はほとんど知らされなかった。



後に 3歳程度の知的レベルだと知るが


会って、様子を見て、


手探りでの支援が始まった。




それが 私にとっての 


ブルシットジョブの始まりだった。