センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

 愛情の砦


今、勤務する施設には


発達障害の子どもが2人いる。



私が採用されたのは


その2人の1年生が入ってくるからだった。



発達障害の子どもは


放課後デイサービスを利用することが多いが



「普通に」と考える保護者は


学童保育に預けるのだろう。



2人共、可愛い子だが


過集中で、他のことが目に入らないし


聞いていないことも多い。



一人の子どもは 母親が厳しく、


CMでお馴染みの教室にも通っている。



そこのプリントを毎日やらせるようだが


裏表あるプリントが4枚もある。



学校の宿題にプラスして、


そのプリントを4枚もやらせるのは無理だ。



1年生になったばかりなのだから


裏表のあるプリントなら、1枚で十分だ。



しかし、母親はそうは思っていない。



遅れのないように、必死で勉強をさせるが


本人は嫌でパニックになる。



問題は学力ではないのに、


親は、どうしても学力にこだわる。



小学校に支援に入っていたとき


1年生を見ていて思った。



入学したての1年生は


どの子も危なっかしく、幼ない。



だから、発達障害の子もさほど目立たない。



でも、二学期を過ぎると


あっという間に 子どもたちは成長し



発達障害の子の遅れが 少し目立ってくる。


二年生になれば、もっと顕著になってくる。



だから、保護者が勉強を必死にさせようと


頑張る気持ちもわかる。


私もそんな親だったから。



でも、大事なことは


ちゃんと愛情の砦があること。



子どもを「普通に」しようと


しゃかりきに勉強させるより



愛されてるってことが


ちゃんと感じられるように見守ること。



裏表びっしりあるプリントを4枚もやらさせる


その子どもは 本を読むのが好きだ。



いつも、おとなしく集中して読んでいる。



読書嫌いの子どもが多い中で


そんなに本が好きなのは素晴らしい美点だ。



お母さん、肩の力を抜いて。


そんなに怖い顔をしていると


子どもはお母さんの顔色ばかりうかがう。



この子たちの先はまだ長い。


けれども 子どもでいられる時間は


とても短かい。



ちゃんと 子どもでいさせてあげよう。


子どもでいられる時間を


知育で塗り固めるのはよそう。



伸びる芽があるのなら


必ずその芽は伸びる。自分の力で。



愛情の砦さえあれば あとは何とかなる。


何とかならないのであれば


それは社会が悪い。



きれいごとではなく


「みんな違って みんないい」と言える、



そんな社会にしていくことこそ


しゃかりきに頑張ろう。