センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

 時間


時間は無限にはない、


というあたりまえのことを考える。



次男が東京へ行ってから、


朝のテレビは見なくなった。


情報番組はBGMにしかならず、煩わしい。



朝はアマゾン・エコーで音楽を聞いて


それで楽曲の良さに改めて気づいたりする。



ネットニュースは面白いが、きりがないし


見たいテレビ番組も限られてきた。




仕事を辞めて半年、


思いがけない出来事が続いて


あっという間に過ぎてしまった。




録画しておいた番組も


何年も前に買って見てないライヴDVDも


意識して時間を作らないと


いつまでも そのままだ。




時短家電、時短調理、


そうやって浮いた時間は何に使われるのか


時々、考えてしまう。



便利と時間を お金で交換して


手に入れたいものは何だろう?






4月から また忙しい日々が始まる。



憧れていた働かない日々の中で


働こうが 働くまいが



生きていく時間には 限りがあって


使える時間にも 限りがあって



自分の力ではどうにもならない、


予期せぬ波に揉まれながら生きている。



私たちは 本当は


ものすごくぎりぎりのところで


どうにか均衡を保っているに過ぎない、


そんな危うい世界に生きていることに


改めて気づいて、



限られた時間の重みを


もう少しちゃんと考えていかなければ


と思うこの頃なのだ。