センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

 矛盾 ②


きっかけは 小さな出来事だった。




発達障害のあの女の子の連絡帳が


誰かによって


一部が破られた状態で見つかったのだ。




誰がそれをやっても不思議ではなかった。


あの女の子は


誰かが嫌だと思うようなことをしても


謝ることができなかった。



いつだって



「私は悪くない!」と主張したので


男子からも 女子からも嫌われていた。





いつも悩んだことなのだが



これが発達障害によるものなのか


単なるわがままなのか


私には判断がつかなかった。



ADHDというより 


人格が2つあるように見えた。



人懐っこく 幼く見えることもあったが


自分がやりたいことを止められたり


注意されたりすると 理屈を並べ立て


感情を爆発させて 相手を睨みつけた。



それが私に対してのこともあったし


他の子供や先生に対してのこともあった。


そんな睨み方をどこで覚えたのか


まるで眼力で相手に呪いをかけるみたいな


そんな睨み方だった。



そうした態度が目立つようになると


彼女はクラスの中で孤立していった。



だから



誰が 彼女の連絡帳を破ったとしても


不思議ではなかった。




保護者は激怒し、


担任に対して 激しい言葉で


解決策を求めた。



これがきっかけで 


クラスの子供たちと担任は話し合いを持ち



そこから


彼女は皆から特別扱いされるようになった。






遊んでいた校庭で 彼女が転ぶと


まるでお芝居のセリフを言うような


大袈裟な言い方で


「大丈夫?」と子供たちが駆け寄った。



彼女に優しく接するという難しい課題を


懸命に子供たちがこなしていた。



保護者の怒りの激しさに


学校も 学級も 屈してしまったのだった。



これが 彼女のわがままを増長させ


それを我慢させられる子供たちのストレスは


担任への反抗という形で


はっきりと現れた。



一部の児童が 授業中に


担任に挑むような態度を見せ始めていた。


それは 少しずつ広がり


まるで 中学生の反抗期のようだった。



悪いことをしても 絶対に謝らない彼女に


皆が怒っていたが そこを注意しないで 


自分たちが押さえつけられることに


子供たちは 理不尽だと密かに怒っていた。



みんなが まだ小学3年生で


みんなが まだ子供だったのに


いきなり 大人の対応を求められたのだ。



表面上は 発表会のお芝居みたいに


彼女に優しくしたが


彼女に対する狡猾な嫌がらせが始まった。



私は放課も常に彼女に付いていたが


彼女が大人に守られれば守られるほど


子供たちの悪意は地下にもぐってしまった。




当然、


担任の指導力が問題にされた。



もちろん それが1番の原因だが


おそらく


彼は 子供が好きではなかった。



子供が好きでない人にとって


学校の激務は 割に合わない。



教師としての適性云々より


何故、そういう選択をしたのか?


という話だった。






あの女の子は 一人っ子だった。


それがまた 問題をわかりづらくしていた。



保護者にとって家では問題のない優等生で


学校で起きているトラブルは


自分の娘に原因があるとは


全く考えられないようだった。



意地悪な友だちにいじめられる被害者として


保護者は学校に改善を求めていた。




兄弟があれば


そのやり取りや喧嘩などを通して


彼女の考え方の偏りや歪みが


理解できたのだろうが、


いつも彼女中心で動いてくれる大人の中では


そんな問題は見つけようがなかった。




父親が 彼女の特性を


発達障害として受けとめることを


断固として拒んだことも大きかった。




本当は 


スクールカウンセラーに頼るだけでなく


早期に医療と繋ぐことも必要だったと思う。





結局


3学期になると、完全に学級は崩壊し


他にもケアやサポートが必要な子は放置され


担任は次年度は他校に異動となった。




あの女の子は と言えば


新学年の担任は ベテランの教師だったが


注意をすると、キレて騒ぎ出すので



授業を円滑に行なうために


授業中に折り紙を折ろうが 落書きしようが


放置された。


静かにしてくれさえすれば良かったのだ。



そして、何より


保護者をモンスター化させないために


保護者の希望が優先されねばならなかった。



保護者の願いは


彼女が気持ちよく学校に通い、


楽しく過ごすことだったのだから。





あの女の子は


この時期に学ぶべきソーシャルスキルを


学ぶことなく放置された。



せっかく 法律が整備されても


子供を権利の主体とする、という考え方が


間違った捉え方をされ、


受けられる教育の権利が奪われる格好になり



私たちは皆、


どうしようもなく空回りする現実と矛盾に


ため息をつくしかなかった。