センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

渡れない河に舟は出さない ④

初めての子どもを授かったとき


彼はとても喜んでくれたが、


それと子育ての協力は別物だったようで


テレビを見ながらビールを飲む、という


至福の時間を、彼は誰にも邪魔させなかった。



もう既に、アルコールの問題は


私にとって避けては通れない重大事だった。


何度も話し合い、3本飲んでいたビールを


2本に減らしてもらう交渉をしたが、


彼は、私の入浴中にごまかして飲んでいた。



飲酒の問題に触れると、


黙って席を立ち、寝室に籠もった。



本人の言い分は


誰にも迷惑はかけていない、


酔って暴れるわけでもないし、


というものだった。






しかし、


車を運転するときでも、子どもを乗せてる時でも、


飲酒を控えることができないのは、


迷惑以前の問題だ。



そして、


全く酔う素振りを見せなくても、


真夜中に別の部屋で全裸で寝ていたり、


床の間とトイレを間違えたり、


などということが、


笑えないレベルであった。



それは、


歳を重ねる毎にひどくなった。



朝、私がトイレに立つと、


パジャマの裾がびしょびしょに濡れた。


トイレマットもびしょびしょだった。



寝る前に戸締まりしたはずの玄関が


早朝、全開になっていることもあった。


彼は、もちろん覚えていない。


眠った後に、酔いが回っていたのだ。



夢遊病者のように、あちこち歩くのが


怖かった。


そして、


私が眠れなくなった。







次男は高校生になっていた。


ある日突然、ひどいめまいに襲われ、


私は動けなくなった。


もう限界だったのだ。



テレビを見ても、雑誌を見ても


気持ちが悪くなった。




彼と初めて寝室を別にして


朝までぐっすり眠れたとき、


こんなにも


自分は眠れていなかったのだと


初めて気付いた。






新婚の頃、


一度だけ彼に尋ねたことがある。


「ビールを辞めて、と言われたら?」




彼は怒ったようにこう言った。


   「離婚する!」


         即答だった。






見ないこと、聞かないことにして


やり過ごせたら良かったのか。


いつか、どこかで変わってくれると


信じたかった。



「子どもができたら変わるよ。」


「歳をとったら飲まなくなるよ。」



義兄にはそうなだめられたが、


本当は誰もそんなことは思っていなかった。



彼が独身の頃から、彼の飲酒は問題で、


しかし、指摘されるとプイと膨れる彼に


誰もそれ以上言えなかったのだ。


義父の飲酒に苦労した義母も


息子に嫌われるのが怖くて、


見て見ぬ振りをしていたのだ。



皆、結婚すれば変わる、変わってくれる。


と根拠のない希望にすがりついていた。



その責任と重荷を


単に私にスライドさせただけだった。





私がため息をつくと、


彼はよくこう言った。



「こんなかわいい子どもと優しい旦那がいて、何をため息つくことがある。」


             と。




どこまで行っても交わることがなかった。


私たちの関係を、諦めるほかに


何か手立てはあったのだろうか。




幾度も舟を漕ぎ出したけれど、


どこまで行っても前に進めず、


そこにはただ、


本当に暗くて深い河が続いている。





もう、漕ぎ出したりはしない。



私は決めたのだ。



渡れない河に舟は出さない。



 

バンクシー展より