センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

 失敗の後始末 〜結末〜

青色


銀座にある日本のブティックだと信じて


ブラウスを購入したら、


全くデタラメな詐欺サイトだった。



という、なんとも情けない失敗をした私だが


とりあえず自分のやれることをやろうと


あれこれ失敗の後始末に追われた。



それが3月のことだ。



そのあれこれが功を奏したのか、


楽天カードから、チャージバックに尽力する


というありがたい連絡を貰っていた。



そして、先週、


ついにチャージバックが完了した旨の連絡を


受け取ることができた。



閉店セール価格のブラウスは


2枚で15300円。


その請求そのものが取り消されたのだ。



やった〜!


という喜びはそんなになかった。



あちこちに電話をかけて相談し、


あれこれ書類も用意して、


なかなか大変な作業だったので、



自分がやれるだけのことを全て完了したら、


もう、それで気が済んだのである。



いや、もちろん返金はありがたい。


だって、品物もないんだし、


私には結構な金額だし。



だが、やれるだけのことを精一杯やった、


という事実が私には必要だった。


と、いうことなのだと思う。



めんどくさいからと諦めてしまったら、


自分にがっかりしていたような気がする。



達成感というのは、お金では買えない。



まぁ、とにかく、これで完了!


おかげで少し物欲から距離を置けた。



これからは慎重さを肝に銘じようと思う、


くちばしの黄色いシニアである。





私たちは黄昏を歩くセンチメンタル同盟

 雨の朝

青色


雨の朝、いつものように


長男の車を見送っていたら、



ふと、


息子を戦地に送り出した母親の気持ちは


どんなに切なかったろうと思った。



どうか無事で、と


どれだけの母親が祈ったことだろう。



お国のためなんてどうでもいい。


ただ無事で帰ってくれさえすれば、と


必死で祈ったことだろう。



力でねじ伏せようとする不穏な空気が


私たちを取り巻き始めている。



沢山の悲しみや苦しみの上に


今の平和があるのなら、



その悲しみや苦しみを


自分ごととして手繰り寄せることも


大事なことではないかと思う。



母方の祖父は、指が何本かなかった。


何年かシベリアに抑留されて、


凍傷になったためだ。



酷寒の中で、道で転んだりすると、


それが命取りになるのだと


母は聞いたらしい。



でも、誰もそれ以上のことは知らない。


祖父はその厳しい経験を話さなかった。



右でも左でもなく、


ただ、息子の無事を祈る母親の気持ちだけで


愚かな争いを防げたらいいのに、と思う。



多様性への理解は、


そんなところからでいいんじゃない?



私たちは黄昏を歩くセンチメンタル同盟

「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」

青色


明日のシフトも定かでない春を越して、


日々のバタバタに鬱になりそうだった。



もう、無理だ!


自分のメンテナンスが必要になり、


6月に1日、休暇申請をしていた。



有給が40日も貯まっていた長男に、


有給消化も働く者の権利だ!


とそそのかし、温泉に出掛けた。



長男の希望に沿った場所に決めた。


どこでも良かった。現実逃避だから。



自然豊かな場所だったけれど、


いたって普通の料理、普通の宿であった。


そこも、まぁ、どうでもいい。



いつも旅行に行くときは、


本を2冊持って行く。



今回の旅行で良かったのは、


この本が読めたことだった。



「ぼくはイエローでホワイトで、


 ちょっとブルー」


ブレイディみかこさんの著書である。




ずっと読みたかった本である。


このタイトルの魅力は、


そのまま中身の魅力につながる。



「白人」の父と日本人の母とその子どもは


イギリスに暮らしている。



多様性の時代、と世界中で連呼されるが、


イギリスで暮らす、見た目の違う親子は


それ故のくだらない偏見にさらされる。



イギリスでも、日本でも…だ。



「ぼくはイエローでホワイトで、


 ちょっとブルー」という言葉は



中学生の息子さんの走り書きだけれど、


「ちょっとブルー」の言葉が切ない。



格差社会が当たり前になり、


社会の分断も一層進む中で、


多様性はきれいごとではない。



「多様性ってやつは物事をややこしくするし


 喧嘩や衝突が絶えないし、


 そりゃないほうが楽よ」



母の言葉に息子は問う。


「楽じゃないものが、どうしていいの?」



母は答える。


「楽ばっかりしてると、無知になるから」



この優しくてピュアな息子と


ちょっとファンキーな母が素敵なのだ。



性別、国籍、見た目、貧富、思想、宗教…


連呼される多様性は、


実に多くの問題を含んでいる。



自分ごとではない多様性を


自分ごととして考えるきっかけを


この本は与えてくれる。



それも権威の鎧を纏うことなく、


ごく普通の庶民の目線で、だ。



帯に書かれた、


「一生モノの課題図書」という言葉が


ぴったりくる本だ。



というわけで、私の現実逃避旅行は、


とても素敵な本との出会いで


なかなか良いものになったのだった。



梅雨時は心もジメジメしがちだが、


どうしようもなくカオスな現場で、


今日もなんとか頑張るか。


私たちは黄昏を歩くセンチメンタル同盟