センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

 うたかた

青色


昨日、長男の高校時代の教科書を見つけた。


国語の教科書である。



パラパラとめくってみると、


小説や評論、古文や和歌などぎっしりで


なかなかのラインナップである。



ふと目に留まったのが、


鴨長明の「方丈記」のあの名文だ。



「ゆく河の流れは絶えずして、


 しかも、もとの水にあらず。


 淀みに浮かぶうたかたは、


 かつ消えかつ結びて、


 久しくとどまるためしなし。


 世の中にある、人とすみかと、


 またかくのごとし。」



誰でも学生時代に一度は読んだことがある。



久しぶりにこれを読んで、


あぁ、これは私たちの世代だからこそ


胸に沁みるのだと思った。



「朝に死に、夕に生まるるならひ、


 ただ水の泡にぞ似たりける。」


「仮の宿り、誰がためにか心を悩まし、


 何によりてか目を喜ばしむる。」



なんて美しい文章だろう。


若い私にはわからなかった美しさだ。



うたかたの世で、


あれこれ惑い、悩み、考えるけれど、


「久しくとどまりたるためしなし。」



鴨長明が「方丈記」を書いたのは、


58歳の頃だとか…



なるほど、納得である。



齢を重ねることで見えてくるものがある。


感じることも変わる。



うたかたのひと粒は、


ゆるゆると流れていけたらいい。


私たちは黄昏を歩くセンチメンタル同盟

 盆休み

青色


朝、息子たちとお墓参りに出掛けた。


今年はビールではなく、


よく冷えたハイボールを持って行った。



緑に囲まれた静かな墓地だが、


何も陽射しを遮るものがなく、


暑さと眩しさの中でそっと手を合わせた。



やさぐれそうな気持ちに蓋をして、


空を見上げる。



せっかくの休みだというのに、


相変わらず仕事のLINEは休まない。



世の中は本当に便利になったのか?


と苦々しく思う。


いつの間にか時間まで搾取されている。



さて。右へ行こうか、左へ行こうか?



まだ厳しい暑さは続くが、


夏は過ぎていく。



手放したら怖いものは何だろう?


それは、本当に大事なものだろうか?



待っていたはずの盆休みに


どこか途方に暮れている自分がいる。



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 こんな8月

青色


GWが終わった時、長男がため息をついた。


「あ〜あ、終わっちゃった…」



私は笑いながら、


「すぐにお盆がやって来るよ」と慰めた。




原爆の日、という新聞のタイトルに


ハッとした。



あぁ、もう8月なんだ。


8月であることはわかっていても、


8月を生きていなかった。



本当にすぐにお盆はやって来る。


高校野球も始まっていた。



私の時間軸はどこかズレている。



子どもたちの夏休みが始まると


人手不足のシフト確認に追われ、


確認しても確認しても終わらない。



来るはずの学生バイトは来ないし、


同僚同士がつまらないことで揉めて、


シフトをひっくり返す。



それを立て直すために


再度、シフトの確認に追われ、


オフの時間も見事に仕事モードだ。



嫌というほどカレンダーの確認をするのに、


8月の実感もないまま、お盆休みは始まる。



やりがいとか生きがいとか、


そんなことより今を生きなくちゃ。



永遠に来ない「いつか」を待っているより、


今を生きなくちゃ。



誰にも必要とされなくなったら、


そんなことに怯えるより、



誰にも当てにされない自由を


思い切り謳歌したらいいんじゃないか?




金曜日に次男が帰省したけれど、


迎える準備も中途半端なままだった。



ようやく今日、重い腰を上げて


買い物に出かけた。



野菜、果物、お肉、お菓子、パン…



大量の食料をかごに入れて、精算し、


働いているからこそできる贅沢なのだ、と


疲れた心身に言い聞かせる。



手放すことが怖いものって何だろう?



案外、手放したらすっきりするかもしれない


と思うのだけれど…


小市民はグラグラと揺れ続ける。



やりがいとか生きがいとかお金とか…


欲ってやつはきりがない。



自分探しをする若さはもうないが、


自分が何を求めているのかは


考えてもいい気がする。



私が本当に欲しいものは


いったい何だろう?


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