センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

 合理的配慮


先日、ネットニュースで報じられていた。



日本政府は、障害者権利条約に基づき


国連から、障害のある子どもとない子どもを


分ける、特別支援教育をなくすように、と


勧告を受けた。



これを見たとき、複雑な気持ちになった。



日本でも 合理的配慮を受けながらの


インクルーシブ教育という概念が


周知されているが




それは 今の日本において


理想の教育なんだろうか?



分けない、隔てない、差別しない。


みんないっしょが素晴らしい。



教員の数が足りない、とか


教員が疲弊している、とか



本当にハードな現場の現状で


国連の推奨する教育が可能なんだろうか?



特別支援学校が駄目なら


特別支援学級は良いのか?


それは 分けることには当たらないのか?



合理的配慮には人手が必要なのだ。



普通学級の中で


ただ「お客さん」になっている子どもを


何人も見てきた。



子どもたちは


みんないっしょだからいい、と


単純に思っているだろうか?



学年が上がるごとに難しくなっていく勉強に


ついていけない子は放置されていく。



自分のできなさに落ち込み


できないことが増える恐怖に怯える子どもも


現実にいるのだ。



分けることを「差別」とするのは


あまりに短絡的な判断ではないか?



ある県では


不登校の子どもの数より


不登校の教員の数の方が多い、という現実。



机の上の理想ではなくて


現場をじっくり見てほしい。



教員の声や 子どもの声に


きちんと耳を傾けてほしい。



子どもが正しく教育を受ける権利について


大人は 正しく判断する必要があるのだ。



   合理的配慮って 何?