センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

③ブルシットジョブ〜クソどうでもいい仕事〜



あの子は


夏休みが終わって 二学期が始まる頃には



どうにか


鉛筆もスプーンも正しく持てるようになって


階段も 介助なしで歩けるようになった。



しかし


紙パンツは まだ外せなかった。



驚くべきことだが


あの子は学校にいる間に排尿しないことも


度々あった。



ここまで膀胱に貯めておけるのなら、


紙パンツを外した方が早い。



何故、保育園で外せなかったのか


それが不思議だった。






あの子に関する情報をもらえないまま、


この頃には


母親がネックであることがわかってきた。




普通学級どころか 支援級でさえ難しいと


思われるあの子を



母親は 普通学級に在席させることに


こだわった。



本人のためには


特別支援学校が最適だと 誰もが考えたが


学校が説得を試みると、



母親は激怒した。



この母親も教育関係の職に就いていたので


普通学級に在席させるための


あらゆる情報を持っていた。



こういう相手を説得するのは難しい。


その豹変ぶりに 学校はたじろいでしまい、



その後のあの子の学校生活は


常にこの母親にお伺いをたて、


了解を得なければならなかった。



普通学級に在籍し 普通の子と同じように


授業を受け 板書を写し、宿題もする。



介助と支援は必要とするが、


その行為が目立ってはいけない。



だから、


紙パンツを外して学校でおもらしするなんて


許されることではなかった。



全て 他の子と同じように、


どんな行事も他の子と同じように。



それが 母親の希望だった。






保護者のクレームにたじろいでしまったら、


もう、学校の負けである。



全く理解できない授業を


あの子は 退屈を我慢して過ごす。



あの子のノートに板書を写したり


問題を解いたりするのは 私たち大人だ。



図工の制作は


介助アシスタントと私の合作で



子どもの絵に近づけるように努力するが


大人の下手な絵は子どもの絵にはならない。



毎日の宿題は 母親の仕事だ。



美しい達筆で書かれた宿題に


先生は毎日、丸をつけた。



テストの時間は


大人が手を添えて 名前だけなぞり、


後は裏返して ひたすら静かに待つ。




もったいない。本当にもったいない。




伸びる芽があるのなら


そのために時間を使いたい。




あの子の成長に少しでも繋がるように


幼児用の紐通しや絵カードを用意して


こうした時間にこっそりとやらせていたが



毎日、テストがあるわけではないし


授業中は板書を写すことが最優先なので


少しずつしか進まなかった。





特別支援学校で


あの子に合わせた課題に取り組んだり


手足の動きを良くする運動療法をしたり



あの子の成長に繋がる時間が必要だった。



言葉は出なかったが


母音は発音できていたので



療育次第では もしかしたら


言葉が出るかも知れないではないか?



あの子に関わる全ての人が


そう思っていたはずだ。



仕事を持つ母親が


毎日、子どもの宿題をするのは大変だ。



そんな時間があるのなら、


トイレトレーニングや


鉛筆やスプーンを正しく持たせることや



あの子のための時間を作って欲しかった。







音楽の時間は あの子も好きだったが、


一度だけ 涙をこぼした。



鍵盤ハーモニカが 弾けなかったのだ。



音さえ出せれば良かったのだが


あの子は吹く、という行為ができなかった。



吸う、という行為は本能で身に付いているが


吹く、という行為は難しい。



長男も、吹くという行為ができなかった。


ハーモニカを試すと良い、と聞いて


試してみると、できるようになった。



ハーモニカは吸っても吹いても音が出る。



あの子にも試してみたかったが、


そこまでやっていいものか、躊躇われた。



私の仕事は支援すること。


普通に、他の子と同じように。




給食の介助も続いていたが


あの子は 自分で食べることができていた。



しかし、介助アシスタントは


相変わらず口元に運んで食べさせていた。



自分で食べるようにさせなければ、と


話をするべきだったが、できなかった。




介助アシスタントは


介助することが仕事なのだ。



あの子が ひとりで食べられるのなら


介助アシスタントは必要ない。



あの子が ひとりでできるようになれば


介助アシスタントは仕事を失うのだ。




必要とされるから、そこにいる。


けれど 


それは あの子の成長には繋がらない。



それは、支援する私とて同じだ。


あの子のために、ではなく



普通学級に在籍させて


他の子と同じようにさせたい、という


母親の希望を叶えるために 



わかりもしない授業に付き添い


あの子の代わりに課題を仕上げる。



あの子を普通学級のお客さんでいさせるため


私は 何の意味もない仕事をする。



それだけの時間を療育に費やせば


あの子にできることは


飛躍的に増えただろうに。



あの子が 普通学級の普通の子であるために


私は あの子の成長を阻む仕事に加担し、


それが 必要であるふりをした。



まさに、ブルシットジョブではないか。







あの子の1年生が終わろうとするとき


1年生の思い出の記録が渡された。



生活の時間、図工の時間などに


介助アシスタントと私が合作したモノたちで



あの子の作った思い出でも記録でもない、


私たち大人の記録だった。



それを見ながら 複雑な気持ちになった。



私たちは あの子に何をしてあげただろう。


貴重な1年を 大事な1年を


二度と戻らない1年を。



人に必要とされる仕事だと信じていたが


私は 必要な仕事のふりをして



「クソどうでもいい仕事」を


   やってきたのだった。




みんなに愛され、アイドルのようだった、


かわいいあの子は 


その頃には、もう外で游ぶこともなかった。



成長した子どもたちは


同じように成長した子ども同士で遊び



あの子は 大人と静かに教室で過ごすしか


なかったのだった。