センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

 暮らし方の選択


次男があっという間に引っ越して行き


時々、入れた荷物の確認とか、


引っ越し後の進捗状況がラインで来る。




新しい住まいはひと言で言えば



    「せまっ!」



本人の感想だが、私の感想でもある。






2年前まで住んでいた東京の住まいもやはり


狭かったが、それよりさらに狭い。




夫の住んでいた部屋の半分程の広さで


夫の払っていた家賃の倍近い。




地価を考えれば当然の話なのだが


この狭い部屋でこれから暮らし、


この家賃を払い続けるんだと思うと



住む場所と生活の質 ということについて


なんとなく考えてしまうのだ。



次男にとっては 東京は最高の場所で


狭かろうが 家賃が高かろうが


そこに住んで働けることに喜びがある。


だから 彼にとってはベストの選択だ。






私は 今と似たような感覚を前にも感じた。


学校で働いていたときの時給についてだ。



親しくしていた講師の先生に時給を聞かれて


答えると、


「安すぎます。」と言われたのだった。



その講師の先生は私の3倍の時給だ。


職種も資格も違うので比較はできない。



そのとき 自分がいただいていた時給が


少な過ぎるとは 全く思わなかった。


妥当な額だったと 今でも思うし


私が辞めたあと、


働き方改革で時給も上がり、


少しだけボーナスも付くようになった。



もちろん それでも3倍の時給には


遠く及ばない。




私が羨ましいと思ったのは


結局は同じことなのかも知れないけれど


時給が高くていいな、ではなく



その人が1日働いて得るお給料を


私が同じだけ得るためには


3倍の時間を働かねばならない、という


その部分だった。



つまり 同じ報酬を受け取るために


働く時間が少なくていいな、という


そのことが羨ましかったのだ。


本当に あたりまえのことなんだけれど。





それは 仕事がなかなかきつかったからで


定時にピタッと帰れるわけでもなく


毎日、少しずつ 残業もしていたからで



お金よりも 短時間の勤務の方が


ずっとありがたいと思っていた。




長男も私の考え方に似ていて


お金よりも働く時間の方が重要だ。



今はまた深夜勤務なので


お給料も25%アップするのだが


それより通常勤務の方がずっといいらしい。






暮らし方において


何を重視するか ということだが



長くもあり 短くもある人生


お金は必要なのだが、時間も貴重で



それに加えて 体力や気力の問題もあり


自分自身のこれからについて


さて、どうしたものかと考える午後なのだ。