自分の心に巻く包帯
昔、長男はいじめにあっていた。
中学生の頃のことだ。
笑い者にされたり モノを隠されたり
よくあるパターンは全て経験した。
まだ
いじめられる側にも問題がある
と、あたりまえに言われていた頃だ。
学校は 現行犯で捕まえないと証拠がない
と言い、解決には消極的だった。
年に2回ほど受診していた、発達障害の
専門センターで
いじめについての相談をすると
自閉症の専門医であるその先生は
「いじめは いじめる側に問題があることが多いんですよ。」
と言った。
だから、その相手の子の問題を解決しないと
いけないのだ、と。
「ミステリと言う勿れ」というドラマの中で
いじめにあった過去を持つ人が
「逃げたかった。」と話したとき
整が言った言葉に ハッとした。
何故、いじめられる側が
逃げなければいけないのか
人をいじめなければいけないほど
病んでいる人こそ
カウンセリングを受けさせるべきではないか
皆が あたりまえにそう言える世の中に
なればいいと。
長男に固執し、いじめていた少年は
ひどいアレルギーを持っていた。
痒くて 夜は眠ることができず
授業中はほとんど寝ていた。
かなりのストレスだったと思う。
もちろん
どんなことがあったとしても
誰かを不当に貶めたり
身体や心に痛みを与えることは許されない。
けれど
それが病める人だったとしたら
それは治療が必要なのだ。
人を殺めるほど相手に固執するストーカー
死に到るほど 子どもを虐待する人
相手が鬱になるほどのパワハラをする人
それが 脳の器質的な問題なのか
精神的な問題なのかはわからない。
それでも
病める人なのだ。
こうした人たちに対して
非難の声があがるのは当然のことだが
ジャッジをするのは私たちではない。
許せないからと
その家族に嫌がらせをしたり
SNSで晒したりするのは
病んでいる人と変わらない。
正義の名の下に
誰かを 徹底的に叩きたくなったら
自分の心に巻く包帯を 探したほうがいい。
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