センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

 祈り


父は軍国少年だった。



父親を小学生のときに亡くして


母親は苦労していただろうに



こともあろうに 


志願して予科練に入った。



反対されたのに、自分を貫き通した。


16歳だった。



終戦があとひと月遅かったら


父は生きていなかったと思う。



父のように


母親を泣かせても、志願した人はいた。



お国のために。



そこに至るプロセスは


どんなものだったのか、私は聞いていない。



そのプロセスは


時代に作られたものだったのだろうが、



今、父に尋ねてみたい、と思う。



何故、予科練に志願したの?


何に導かれたの?


母親を泣かせて、気持ちは揺れなかったの?



もう、叶わぬことだけれど。



そんな軍国少年を


二度と作らない国であって欲しい。



戦争で死なせるために


子どもを産むわけじゃないのだから。



全ての母親の祈りが この国に届くといい。