センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

相続は他人の始まり

先日、久しぶりに叔父が実家を訪ねてきた。


  あれ?


突然の訪問を私は訝しんだ。



何年か前、


母は自分の兄弟達を相手に調停を起こした。


それはもう、揉めに揉めた調停だった。





母は生まれたときに里子に出された。


本家に子供がなく、


分家には既にふたりの息子がいた。


次に生まれる子を養子に、


と決められていたのだ。



本家は裕福だったが、本家の母親は早世し、


後妻には子供が生まれた。


そして、戦争で本家は没落した。


母は実の親の元へ帰されたのだが、


実の母とはうまくいかなかった。


そう、その実母が亡くなるまでずっと、だ。



しかし、うまくいかないなりに、


祖母は母に負い目があったようで、


他の兄弟と同様に


生前贈与で土地を分け与えた。


そして、母の名義で200万円ほど蓄えていた。


その通帳は母に渡されたのだが、


ある日、長兄である叔父がやって来て、


その通帳を預からせて欲しいと言ったのだ。


祖母が90を超え、認知症となって


長兄である叔父が財産管理を任されていた。


祖母の介護にいくらかかるかわからないので


とりあえず預からせて欲しいと言ったのだ。







祖母は100歳で亡くなった。


しかし


母は相続から外された。


200万円も、当然戻って来なかった。



母は、里子に出されたので、


実子とは認められない、というのが


兄弟たちの言い分だった。



途中から分家に戻り、


ずっといっしょに暮らして来た兄弟が、だ。



昔のことなので、戸籍が変更されず、


本家の子供のままになっていたのが


その言い分の証拠となった。



母は父とふたりで商売を成功させ、


お金に不自由したわけでもなかったが、


この扱いに激怒した。


これは、個人の尊厳の問題なのだ。



弁護士を頼んで調停に持ち込み、


結局、母の相続を認める形で


和解案が出され、承認された。





長兄の叔父は東京で有名企業の上層部にいたし、


次兄の叔父は亡くなっていたが、


三男の叔父は教師を勤め上げ、


かなりの退職金と


豊かな年金を受け取っていた。



その彼らが


わずか200万円のお金を母に渡すのを


拒んだのだ。


その10倍の金額を


自分たちは相続しようとしていたのに、だ。



お金は魔物だ。



教師だった叔父は、


絶対に母の味方になるから、と


絶対に裏切らないから、と誓ったのに、


長兄と組んで、あっさり方向転換した。



しかし、調停の過程で、


組んでいたはずの兄弟も仲間割れをし、


絵に描いたような、陳腐で下品な


相続をめぐる争いが繰り返された。


祖母が自慢していた相続財産は、


子供たちをバラバラにして、


醜くしただけだった。








あれから数年が過ぎて


悪びれもせず、


ニコニコとやって来た三男の叔父は


祖母の貸金庫を開けたいので、と、委任状に


同意の押印を求めて来たのだった。



原則、貸金庫を開けるときには


相続人全員の立ち会いが必要になる。


叔父は中身を母に知られたくないのだろう。




母は押印を拒むに違いない。


その先のことは


どうなるかわからない。



よくわかったのは、


お金は時に


人を酷く醜くする、ということだ。



相続は他人の始まり



という、苦い苦い教訓だけが残された。