センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

 謝ることもできない


子どもが悪いことをしたら


親は保護者として 当然に謝る。



けれども


それで終わりにしていいわけではない。



悪いことをした当人に


それが悪いことだったと自覚させ



謝らせることこそ重要なのだ。




森友学園問題に関する裁判で


元国税庁長官に損害賠償を求めた訴訟判決は



個人の賠償責任を否定し、請求を棄却した。



この判決は妥当だろう。


元長官は国家公務員なので、



国家賠償法が定めるところの


「公務員個人が職務で損害を加えたときは


 国が賠償責任を負う」



という規定に基づけば、個人の責任はない。



国との訴訟は「認諾」という形で


既に打ち切られている。しかも唐突に。



赤木雅子さんは 個人の損害賠償を


求めたかったわけではないだろう。



国が一方的に幕引きをしたこの事件の


真相を知りたかっただけなのだ。



そして、国だけではなく


元長官個人にも きちんと認めて、


謝罪して欲しかったのである。



当然のことではないだろうか。



組織に守られる人と組織に守られなかった人


その違いは何なのだろう。



それは 地位のためなのか。


もっと上に立つ人間の名誉のためなのか。



親が謝っておしまいにしたら


子どもは永遠に間違いを正せない。



裁判の結果がどうであろうと


元長官は謝罪すべきなのだ。



赤木雅子さんか知りたいことに


きちんと答えるべきなのだ。



その原因を作った人は


赤木さんの手紙を受け取って



応えることなく もうこの世にはいない。