センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

たぶん間違ってはいない



まだ、息子たちが学生だった頃、


「婦人公論」を読んでいたら



「こんなはずじゃなかった」と嘆く


読者の投稿があった。



子どもが小さい頃からずっと


食べる物には気を配り



おやつも手作りにこだわり


一緒にいろんな体験をし



子ども中心で一生懸命に子育てをしてきた。



けれども


大人になった子どもたちは



まるで自分の思い通りにならず、


親の気持ちも知らずに


個々に勝手なことをしている。



自分のあの一生懸命な子育ては


何だったのだろう?



という内容だった。




私はびっくりした。


そんなお手本のような良いお母さんでも


子どもは思うようには育たないのだ。





私はずっと忙しく働いてきて


とても子ども中心とはいかなかった。



良妻賢母を目指したけれど 


どちらも私には無理だった。



ずっとそこにコンプレックスがあった。



だから


その投稿を読んだとき、ホッとしたのだ。



こんなに花丸のお母さんでも


子育てはうまくいかないのだ。



だったら、後悔して悩むこともない。



私は夫とうまくいかなかった。


お手本の夫婦像を息子たちに見せることは


できなかった。



花丸の家庭は作れなかった。



でも、それを全て自分のせいだと


背負うことはやめた。



努力だけではどうにもならないこともある。



叶わなかったことや足らなかったことは


息子たちが叶えていけばよいのだ。



自分のお腹の中から生まれても


人格は別なのだし


その人生は彼らのもの。



私は私なりにがんばって育ててきた。


何かが足らなくても、ここまで来た。



あとは 彼らががんばればいい。


バトンはちゃんと渡した。



よくここまでがんばってきたよね、って


子育てを終えた世のお母さん、お父さんに


ハイタッチしたい気分だ。



誰にも褒められなくても 花丸でなくても


私たちは たぶん


間違ってはいないよ。