センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

清々しいほど不器用な自分



相変わらず、自分のできなさに


凹む毎日である。



凹んでは立ち直り、凹んでは立ち直り…



しかし、それにも限界というものがある。


いい加減、自分の不器用さが嫌になる。



なんて憐れな人!と思われるのが嫌で


必死に頑張ってきたけれど



違う、違う。


神さまは 私の足らない所を


あえて自覚させようとしているのだ。





来年、私はここにはいない。


仲間もみんなバラバラになる。



そこで だめな自分を晒すことなんて


大したことではない気がしてきた。



あまりにもだめすぎて


立ち直りの限界を超えたら



清々しいほどだめな自分を受け入れられた。



もともと 大した人間じゃない。


背伸びして、というより



せめて人並みにできる人、と


思われたかったのである。



そういうことを諦めると 


なんだか楽だなぁ、と思う。



私はわりと努力する人間だ。


できないことは 少しでもできるようにと


ものすごく時間もかけてきた。



でも、ない才能はない。


全てが努力で補えるわけでもない。



がんばってもできない自分が悲しくなるが


それはそれでいいような気がする。



私は今、


一歩ずつ できない自分と向き合う旅を


続けているのだと思う。



そういう自分を認められたなら


この旅には 


大事な意味があったということだ。



ようこそ


清々しいほど不器用な私。



己を知るって 怖くて嫌なことだけれど


私はこうやって 過去の自分を


精算しているのかも知れない。