センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

毒舌に救われる日もある



ヘトヘトな1日が終わり


訓練仲間の男性と駐車場に向かった。



この男性は同い年で、


みんなが課題に苦労していると


誰にでも平等に助っ人を買って出る人だ。



親切な良い人だが、なかなかの毒舌家で


その一言がなければナイスなのになぁ


といつも思う。



同い年で席も近いので


その毒舌の矢は私に飛んでくることが多い。



しかし、彼はその毒舌が毒舌だとは


全く意識していないのである。



本当に悪気なく吐く毒舌なので


私も笑ってツッコミ返す。



駐車場に向かうまでのわずかな距離で


何でもない話の流れから


夫のことを尋ねられた。



「ご主人は家事を手伝うの?」



私が 夫は亡くなったことを伝えると


全く予想だにしなかった言葉が返ってきた。



「亡くなった?呪い殺したの?」



       (⁠☉⁠。⁠☉⁠)⁠!




おい、おい。そんなこと言う人いないぞ。


一般常識的には NGな返しである。





しかし、私には これが良かった。



ありえない驚きの言葉ではあったが


この人らしい毒舌にホッとしたのである。



急に顔を曇らせて


「つらいこと聞いてごめんなさい」みたいな



そんな言葉をかけられたら


気まずくて 憂鬱になったに違いない。



まだ、ほとんどの友だちには


夫が亡くなったことを知らせていない。



欠礼はがきによって その事実を


静かに受け止めてもらいたいのである。



毒舌家の仲間が放った言葉は


私的には花丸だ。



「呪い殺したの?」と言われれば


「なんでやねん(⁠ノ゚⁠0゚⁠)⁠ノ⁠~」



で笑い飛ばせるのだ。



人の気持ちは人それぞれ。



非常識な言葉の方がありきたりな言葉よりも

 

救いになることもある。



まぁ、もちろん これは私限定で


許される言葉ではあるけれど¯⁠\⁠_⁠(⁠ ͡⁠°⁠ ͜⁠ʖ⁠ ͡⁠°⁠)⁠_⁠/⁠¯



この昭和の小学生みたいな毒舌仲間も


今さら変えようがないのである。