センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

 悪魔の囁き



先週、金融機関のATMを利用した。


自動車税や自動車保険などを払うためだ。



長男の通帳2冊と私の通帳を持っていき、


出金や入金を何件か済ませた。



ふと最後に出金したお金を数え、


通帳を確認したとき、驚いた。



出金したお金が、通帳の印字金額より


2万円ほど多いのだ。



焦った。


これは、ラッキー? 何かの間違い?



いや、いや、間違いなら返金だろう。


いや、いや、本当に間違いか?



ほんの一瞬の間に 私の煩悩が駆け巡る。



そうして、再度通帳を確認すると



出金した通帳と、別の通帳を


間違えて見ていたことに気づいた。



粗忽者の私らしい勘違いである。


出金された金額は正しかったのだ。




このとき、私は心からホッとした。




私の中の悪魔の囁きと


闘わずに済んだからである。



この後、思った。



人間、意外にものすごい大金よりも


このくらいのお金の方が


自分の本性がよくわかるのではないか、と。



ラッキー?と思った時点で


悪魔の私の勝ちなのだ。





で、巷で話題のあの話、である。


4630万円の誤送金だ。



時間がないので、ワイドショーも見ないが


TV欄のタイトルで まぁ、内容はわかる。



ネットのコメントも 辛辣だ。


役所が悪い、返金しない人間が悪い、etc…



色々な意見があっていい。


どちみち 他人事なのだ。



ただ、どちらが悪いか、という話ではない。



誤送金のミスはミスだし、


使ってしまった過ちは過ちである。



この誤送金のミスが


ひとりの若者の人生を狂わせてしまった、



という意見も多く見られ、


私も最初はそう思っていた。



しかし、


金融機関での自分自身の悪魔の囁きを聞いて



私は思った。


誰かのせいなんかじゃない。



それは 自分自身の選択だ。



いくら若いとは言え、立派な成人である。


誤送金という重大なミスがあったにせよ、



それほどの大金を使ってしまう、


ということが どういうことなのか



それで 何事もなく済むなんて


ありえないということが 



まさか わからないわけでもあるまい。



誤送金さえ無かったら、


この若者の人生は変わらなかったのか?



ここで 踏みとどまれなかった人は


人生のどこかで 



やはり 踏みとどまれないのではないのか?



横領なんて、昔から後を絶たないけれど


普通の人が 


踏みとどまれなかった結果に過ぎない。



特別な悪人でもないし、バカでもない。



つまり、私たち誰でも可能性があるわけだ。





この若者を知る人物の


「お金に執着する人間だった。」という、


コメントを見て、思った。



お金に執着するのが人間というもの。



お金に関する話題に異様に飛びつく私たち、


この反応こそが、私たちの執着ではないか?



妬みや やっかみや 叩きグセ



どんな意見もあっていいけれど


私たちに実害があるわけでもないことに



役所にクレーム電話をしたり


若者をとことん晒そうとしたり



それだって 正義という鎧をつけた、


迷惑行為だ。



それも


悪魔の囁きに負けた、同じ姿だと


私は思うのだけれど。