センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

 私たちのフェミニズム

アメリカ版「プレイボーイ」に掲載された、


ヘアヌード写真を私たちに見せた教授は



ある日の講義で


家事労働に対する月収はいくらになるのかを


私たちに書かせた。



それを回収してチェックした教授は



「貴方たちの考える家事労働の値段は


 こんなものなの?



と、本気で怒った。




多くの学生が


5万円程度と低く見積もっていたからだ。




私も低く見積もっていた口だった。



それはきっと、


家事を自分で担っていなかったからだ。






卒業して 何年も経った頃



結婚して、仕事を続けて、子供を育てて


家事労働の殆どを一手に担っていた私は


いつも疲れていた。




休みの前日に



夫が 「明日、休みでしょ?」


と言うのが嫌だった。



休みなんだから、家事をしっかりやれ、と


いう意味なのだ。



仕事に休みはあっても


主婦に休みなどないのだけれど。






夫は結婚前、私が働くことに賛成し、


できる限り協力すると言った。



夫の協力とは



働いてもいいが、それは夫のいない時間内で


夫が会社から戻ったら、夫を最優先にして



当然、家事を疎かにしてはいけない、


という不文律があるものだった。




つまり



夫が会社に行っている間であれば


そして、家事が疎かにならなければ



働いても良い、という承認であり、


その承認こそが 彼の中での協力だった。







家事労働の対価について、


あの日、教授が言いたかったことが


わかるような気がする。




私たち女性が


あたりまえに担ってきた家事労働を



私たち女性が 


あたりまえにその価値を低く見積もっていて



それでいいのか、と言いたかったのだ。




現在、家事と育児を全て外注すると


40万円ほどになると言う。




妥当な金額ではないか。




家事は立派な労働だ。


主婦は家事労働のプロフェッショナルだ。



私たちが 私たちの労働を


低く見積もってはいけない。



そして



その労働が 外で働くことより劣るなんて


言わせてはいけない。



私たちのフェミニズムは ここから始まる。