センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

この世のことは この世で



以前、ある研修で


保証人と連帯保証人の違いについて


講義を受けたことがある。




①保証人であれば、主債務者に請求するよう

 主張することができるが、

 連帯保証人には主張できない。



②主債務者が返済できる資力があるにも

 かかわらず返済を拒否した場合、

 保証人であれば

 主債務者の財産に強制執行をするように

 主張できるが、

 連帯保証人にはこういう主張ができず、

 返済する義務を負う。



③保証人が複数いる場合、

 保証人はその頭数で割った金額のみ

 返済すればよいが、

 連帯保証人は全ての人が

 本来返済すべき金額を超えない範囲で

 全額を返済しなければならない。




つまり 単なる保証人より


連帯保証人の方が


その責任が遥かに重い、ということだ。




だから、よく言われることだが



連帯保証人にだけはなってはいけない。




この講義を受けたとき



連帯保証人の責任の重さだけは


頭に叩き込まれた。




けれど


それも 所詮は他人事だった。







夫の部屋の片付けをしたとき


1番に気をつけたのは 郵便物や書類だった。



借金をするような人ではなかったが


万に一つの可能性がないとも限らない。




一昨日、持ち帰った書類の中から


それは見つかった。



会社が運転資金として借りた2千万円の


連帯保証人としての契約書だった。



以前、夫から話は聞いていた。



夫も役員だったので、


会社に所属する以上、当然の選択だ。



それでも



その書類の 連帯保証人 という言葉に


その言葉の重さに 圧倒された。





この先



会社がどうなっていくのかはわからないし


毎月の返済額は 


会社として支払っていけない金額ではない。




次男も


この書類を見つけていた。



私に言わずに黙っていたのは


彼の優しさだろう。







夫の預金通帳には 予想に反して 



数百万円が普通口座に残っていた。



おそらく


生命保険を解約したものだろう。




連帯保証人の件が どう決着するかは


わからないが 



場合によっては 弁済が必要だろうし


その金額によっては


相続放棄という選択も必要かも知れない。




お金の問題というのは


生きている間だけではなく、


死後にも続く。



葬儀はシンプルなものにした。



夫の部屋は 全てを処分し


部分的に掃除をして、除菌も済ませたが



それでも、原状回復とはいかず、


部分的なリフォームも必要となるだろう。



大きな数字が追いかけて来る。




この現実的な問題との格闘は続くが



「この世のことは この世で片が付く。」



という 母の言葉に慰められ



とりあえずは 前を向いて


一歩ずつ 歩みを進めて行く。