センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

分かち合うのは難しい



前に務めていた放課後デイサービスでは


発達障害の子どもの保育と共に



フードバンクとつながって


食料支援も行っていた。



フードバンクから届いた物を


施設で管理し、地域の人に配るのだ。



施設長は、フードバンクにいたこともあり


そうした活動に熱心だった。



それは、真に福祉を目的とした活動で


それを子どもたちが手伝うことで


社会活動への参加になる、と考えられた。



しかし、実態は違った。


寄付された食品は、施設の宣伝と勧誘、


利用者への手土産に利用された。



社長は、その中にあるお菓子を


施設のおやつにも利用した。


おやつ代は保護者から徴収していたのに。



株式会社だったから、利益を追及するのは


理解できる。


でも、経営は苦しくはなかった。



放課後等デイサービスは


公費で9割が賄われる。



ある意味、おいしい仕事だ。


だから、異業種からの参入が相次いだ。



で、どんなことが起きたかと言うと、



保育の経験のない経営者が


ただ、子どもに1日ビデオを見せているだけ、


という質の悪い施設が増えた。



それが問題視され、


認可要件が厳しくなったのだけれど


お役所仕事には抜け道ができやすい。



職員の待遇は悪いのに


役員はとてもリッチだった。



社長は女性だったけれど


愛人をビジネスパートナーにして



自分はベンツに乗り、


愛人もレクサスや別の高級車を所有した。



私が辞める頃には


愛人とのマンションも購入したと聞いた。



そして、フードバンクからの食品は


地域の人に配る前に、役員が取り置きし、



次に職員が欲しいものを取り置きした。


そして、利用者に分配され、


最後に地域の人に配られた。



そうした「社会活動」は


地元のテレビにも取り上げられたが


私はなんだか釈然としなかった。



この「社会活動」は、


人間がどんなに欲が深いのかを


露呈させることになったからだ。



施設の人間が1番に欲しいものを取り置き、


地域の人に配って残ったものは


別の施設に渡すはずだったのに




保護者や子どもたちが欲しがった。


自分たちも既に貰っていたのに。




業務用の大きなみかんの缶詰を、施設長が


手伝いをした子どもに、言われるまま


ひとつ渡すと



さらに保護者からもらってくるように言われ


子どもが2つも3つも持ち去った。


利用者様は神さまなのだ。



別の施設に渡せば、その1缶で、


利用者全員の2日分のおやつにはなった。



味噌だの豆乳だのレトルト食品だの、


買えば結構な値段になるものもあった。


多くの職員も、かなりの数を持ち去った。



やがて、系列の施設が


食料配布のイベントを担いたいと言い出す。


届いた食品を自分達の自由にできるからだ。



働いて、給料をもらっている人たちが


困窮する人たちへの支援物資を


「買うと高いから」と欲しがる。



福祉って、ある意味魔物である。


普通の人たちを欲深くする。



物価高の昨今、


企業も余剰品が出ないように管理している。


フードバンクも厳しい現状だ。



そうしたニュースを見るたび


人々の欲深さを露呈させた、


あの「社会活動」を思い出すのである。



人間の欲には際限がない。


分かち合うって、意外に難しい。