防波堤
別に今、人生がつらいわけじゃない。
ものすごく疲れてるし
人間関係に嫌気がさしてるし
これでいいのか?と日々考えるけれど。
この状況を変える方法は幾つかあって
それを選択する自由を私は持っている。
人を変えることはできない。
私だって 人から変えられたくはない。
人それぞれの選択や強い意志を前に
私に何ができようか?
それは その人自身の心の問題だ。
新しい人も、新しいことも 違う可能性も
何も受け入れたくない人は
そこで 永遠に足踏みをして
何も変わらない自分で色褪せていく。
人間は保守的だから
思ったより変化に弱い。
どんなにより良い方向へと進む変化でも
それを受け入れることは容易くない。
あれこれと混線している頭の中に
こんなリールが流れて ふと我に帰る。
ただ、ただ疲れている私は
この学長のアドバイスが
シンプルに腑に落ちる。
今起きていることは さらなる困難の防波堤
これは、すごく身に沁みる言葉だ。
過去のあれがあったから、今を耐えられる。
過去のあれがあったから、今を生きられる。
起きたことは受け入れるしかない。
夫が亡くなったとき
お酒で弱った夫に対して厳しかった次男は
きっと ものすごく自分を責めた。
そして、私も罪悪感に怯えていた。
明日、永遠に会えなくなると知っていたら
もっと優しくできたのに
手を離さずにいられたのに と。
だけど、私たちのゴールは同じだ。
誰ひとり死を避けることなどできない。
生きているから 生きていくために
幸せになるための選択をする。
私は私の選択を、夫は夫の選択を。
その結果を 誰かが永遠に背負うことなど
できはしないのだ。
まだまだ続く夫の宿題も
さらなる困難の防波堤なのかも知れない。
日々のつまらぬ葛藤も
まだ、その余力が私にある、ということだ。
もう、無理だけど、となったときには
潔く自分で自分を変えていこう。
まだ、選択できる自由がある。
それは とても幸せなこと。
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