センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

 「銀河街の悪夢」


私は人畜無害な人間である。


いや、自分で思ってるだけだけど。



ちょっとハードなキャラの母親に育てられ、


ものすごくネガティブな子どもだった。



何しろ、小学生のとき


自分の中学生以降の未来が描けなかった。



大人にはなれないと思っていた。


何の理由もないけれど。



体が弱かったわけでもない。


人生に絶望していたわけでもない。



ただ、単純に


大人になるだけの価値がない人間だと


自分で思っていた。



今思うと、なかなか可哀想な子どもである。





SEKAI NO OWARIのFukaseさんが


10代で精神病院に入っていたのは


よく知られた話だ。



彼が発達障害で、


壮絶ないじめにあったことも。



彼らが有名になった頃は


あのキラキラした、


ファンタジックな世界観があったから



Fukaseさんの過去と結びつかなかった。





人間には未来もあるけれど 過去もある。



アイデンティティって、よく言うけれど 


それは良いことも 悪いことも含む。



ハードなキャラの母親は


そうでないと生きられない過去があり



そうした母親に育てられると


波風を立てないように、空気を読んで



人畜無害に生きようという私ができる。



それでも、というか


だから、というか



そうした生き方につけこむ輩も現れる。


仕方ないと言えば 仕方ない。



人間っておかしなもので


強く主張する輩ほど大事にされる。



あちこちにいるクレーマーは


強く主張すればするほど大事にされるから、


クレーマーをやめられない。



物分かり良く、自分で呑み込む人は


あの人は大丈夫!と、勝手に思われて


ちっとも大事にされなかったりする。



理不尽だと思うけど、


世の中、そんなふうにできている。



そういう世の中で生きていくのは


つらいと言えばつらい。



人畜無害を盾にして生きてきても


だからこそ攻撃される理不尽さを



時々、噛み締めなければならない夜もある。



Fukaseさんが 今でも大事だというこの曲が


キラキラと美しく光らなくても



誰かの苦しさに 


そっと寄り添うかも知れない。



  「強くなれ 僕の同士よ」




SEKAI NO OWARI - 銀河街の悪夢 @横浜アリーナ 2014