センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

 アンサーソング


別のブロガーさんが、


新婚の夫君について投稿されていた。



友人と時を忘れて楽しく過ごし、


ほんの少し帰宅が遅れたら


先に帰宅していた夫君が怒っていた。



なぜ、そんなに怒られるのか理解できない。


自分は夫の所有物ではない。


夫の考え方は正しいのか?という内容だ。



私は、亡くなった夫にそっくりだな、と


この方の痛みがわかる気がした。





夫は封建的な考え方で、


常に女は男の下、と考えていた。



私はパートではあるが、働いていたし


子育てもワンオペだった。



長男が発達障害だったから


地域での居場所作りが必要で



保育園で 保護者会の役員を引き受けた。


大変だったけれど、楽しかった。



他の役員も仕事を持っていたので、


役員の打ち合わせなどは、


夕方の電話になることが多い。



大事な問題があり、


その日も電話で打ち合わせていたのだが



夫は、帰ってから5分ほどすると


電話をしている横で掃除機をかけ始めた。



さっさと電話を切れ、という合図だ。



自分が仕事から帰ってきたら


妻たるもの、長電話などせず


万全の体制で夫を迎えるべし。



というのが、夫のルールだったのだ。



別のブロガーさんの夫君と同じく、


そういうことについて話し合おうとすると


夫は不機嫌に席を立つ。



問題解決のために 話合うということが


全くできなかった。常に平行線のまま。


異星人のようだった。



あまりにも人を下に見て、


自分の所有物のように扱うその態度に



実は、明治生まれか大正生まれなのか?と


ツッコミを入れたい思いだったが



時代のせいではない。



もちろん、生まれ育った環境とか遺伝とか


そうした影響は大きい。



けれど、それが全てではない。


人は成長する生き物だ。



どんな時代に生まれようと


どんな生まれや育ちであろうと



自分の心を育てることは、自分でできる。


いろんな出会いや経験から


学べることは沢山ある。



そこから学べないのは、本人の怠慢である。





私たちは 死ぬまで完成なんてしない。


死ぬまで惑い続ける、未熟者だ。



それを知ることでしか


私たちは成長できない。




私の夫は 学べないまま亡くなったけれど


生きている人は まだ学ぶことができる。



子どもの頃、教わったではないか。


「自分がされて嫌なことは、人にもしない」



本当に大事な人の幸せより


自分のプライドや満足を優先させるうちは


まだ、まだ、未熟者である。



私の夫は、私が夫のいない世界で楽しみ、


幸せでいることに嫉妬していた。



おもちゃを買って!僕を見て!と泣き叫ぶ、


幼児と同じレベルである。



波風を立てないために


見ないふりをして過ごしてきたけれど



これは、結婚生活において


人として 絶対に見過ごしてはいけない、


大事な問題であった、と思う。



相手の幸せも 自分の幸せも


同じくらい大切なのだよ。


誰だって 痛いのは嫌なのだよ。



一世を風靡した、あの「関白宣言」には


ちゃんとアンサーソングがあって



人は 生きたように老いていくのだと


教えてくれる。


大切なものに 気づくためのエールだ。



いざ、目覚めよ(⁠*⁠ノ⁠・⁠ω⁠・⁠)⁠ノ⁠♫




さだ まさし 関白失脚