センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

死ぬまで誰にも言わないけれど➁


全国的にインフルエンザが猛威を奮っていた


寒い1月。



一人で義父母の家に泊まっていた夫は


義母が風邪気味だから、


もう一日、実家に泊まると連絡してきた。



インフルエンザが流行っているから、


病院に連れて行った方がいい、と伝えたが


夫は「それほどのことじゃない」と言った。



少しその言葉に引っかかったが、


ある意味、想定内の言葉でもあった。




夫は誰かのために


お粥を作ったり、うどんを作ったり、


そんなことができる人ではない。



レトルトのお粥とか


簡単に調理できる食品を


たくさん買っておくように、と



それだけ念を押して電話を切った。




それから2時間ほどすると


家の電話が再び鳴った。




受話器を取ると 


呂律の回らない男性の声がする。



酔っぱらいの間違い電話かと思った。


しかし、それは夫だった。



うわずった声で 


「母さんが風呂で倒れた」と言う。


救急車を待っているところだった。



夫がパニックになっているのがわかる。


私も血の気が引いた。


なぜ?どうして?




その次の電話は 義母が亡くなったことを


知らせるものだった。



ヒートショックによるものだろう、


というのが病院の見解だった。




眠れないまま迎えた明け方、


夫が私を迎えに来た。



おそらく夫も一睡もできなかっただろう。



私たちは無言で車に乗り


ただ、黙って朝焼けの中を走った。



まだ空いている高速に乗り


ラジオから流れる静かな音楽をBGMに


外に流れる朝の景色を黙って眺めていた。



しばらくすると 夫が口を開いた。



「風呂に入るように言ったのが


 いけなかったのかな」



そうだ。私はそこが理解できなかった。



「あんまり寒い、寒いって言うから


そんなに寒いんだったら風呂に入れば?」と


言ったのだと言う。



義母は 夏はともかく、


冬は毎日入浴する人ではなかった。



私たちが勧めても


「私はいい」と言うことが多かった。



だから


風邪をひいて具合が悪いのに


なぜ入浴したのか、解せなかった。



おそらく、


夫が話したような言い方をしたのなら


義母は「私はいい」と言ったはずだ。



義母は義父と仲が悪かった。


寝室も別にしていたし、


晩酌を終えると、義父は2階に籠もる。



義母にとって夜は長かったに違いない。


夫が泊まっていくことが


どんなに嬉しかったことだろう。



少し具合が悪くても


息子のそばにいたかったのだろう。



けれども


夫はそれを理解できる人ではなかった。



お風呂上がりに 好きなテレビを見ながら


ビールを飲む至福の時間を



たとえ母親であっても


邪魔されたくはなかった。



悪寒で「寒い、寒い」と訴える母親を


疎ましく感じたに違いない。



私が具合が悪い素振りを見せると


露骨に嫌な顔をしたように。



そもそも 風邪など大したことはない、と


軽く考えていたのだろうし。



だから


「そんなに寒いなら風呂に入って来い!」


と強く上から言ったのだ。



私が風邪をひいたときと同じように。



義母は夫の不機嫌を感じ取り


無理してお風呂に入ったのだと思う。



もちろん、これは私の推測に過ぎない。


しかし、限りなく事実に近い推測だ。



夫は後悔しただろう。



お風呂を勧めたことではなく、


自分がどんな言い方をしたか、


ということに。





義父は義母が亡くなると


3日で一升瓶を空けてしまうほど


大好きだったお酒をやめた。



義母への罪滅ぼしだと言って。


そして、半年も経たずに


後を追うように逝ってしまった。




夫はと言えば、


結局、最後までお酒を断てなかった。



義父の飲酒も 夫の飲酒も


周りを振り回し、不幸の種を蒔いた。



夫が もう少し人の痛みを理解できたなら


飲酒よりも大事なものに気づけていたら



義母は


もう少し長く生きられたかも知れない。



もう遠い過去のことだ。


義父母も夫もこの世にはいない。



私は もっと腹を括って


夫と戦うべきだった、と思う。



波風を立てたくなくて


いろんなことを呑み込んでしまったが



嵐になっても良かった。


夫に もっともっと伝えるべきだった。



貴方が自身の痛みを感じるように


私だって 他の人だって


痛みを感じるのだ、と。



人が具合が悪いときに


不機嫌になるのはおかしいだろう、と。



彼には理解できなかったのだから


理解できるまで、戦うべきだったのだ。



生きていれば 波も立つし風も立つ。


それを恐れて 一方だけが我慢をして


何もかもを呑み込んではいけない。



我慢や忍耐が美徳だなんて 誰が言った?


理不尽を呑み込めば、さらに理不尽は続く。




波風は立たなくとも


大切なことを相手は永遠に学べないのだ。



言葉にしなくてもわかり合えるなんて


幻想だ。




義母の死に 夫は責任がある。


そして


それは 私にも責任がある。




  死ぬまで誰にも言わないけれど。