センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

 今年最後の痛み


大掃除で あれこれと整理していたら


一昨年、夫におせちを届けたときの


重箱が出てきた。



夫が洗って返してくれた、そのままの状態で


手提げの箱から出てきた。



昨年、持って行ったおせちの重箱は


返してもらうことなく


夫の部屋に残されていた。



去年の年末、


アルコール依存が進んでいた夫は


飲み過ぎによる脱水とフレイルだった。



連れて行った病院で


一人暮らしでのアルコールのコントロールは


難しいと言われた。



次男と連れて行った大きな病院の待合室で


私は医療従事者のブロガーさんのブログを


思いだしていた。



今年も書かれていたが


年末になると病院が姥捨山になる、という


話だ。



認知高齢者を預かるデイサービスが


冬休みになるので、



家族が年末年始を過ごす自分たちのために


救急を利用して、


高齢者を入院させようとする。



つまり、


病院が姥捨山になる、という内容だ。



そんな非常識な家族がいるのか、と


驚いて読んでいたのだけれど。





私たちは


近所の開業医から



「年末年始、ひとりでは無理だから


大きな病院で入院させた方がいい」と


薦められ、紹介状を書いてもらった。



その病院では、検査に時間がかかり


待っている間、次男と交替で食事した。



ひとりで待合室で待っている間、


私たちも 夫を病院に捨てに来たのだ、と


思った。



夫のアルコール依存が別居の原因だったのに


その依存が原因の脱水症状で


私たち3人は家族としてそこにいる。



長い間、どんなに話し合っても


夫のアルコール依存を


コントロールすることはできなかった。



それでも


私たちはこの問題の当事者で


嫌でもこの現実と向き合わざるを得ない。



夫よりずっと年上の女性が


私たちの前に座っていた。



腰を痛めたらしく、立つのも辛そうだった。


それでも、付き添いもなく


ひとりで来て、ひとりで帰っていく。



年末の忙しい救急外来で


アルコール依存による脱水症状だなんて


情けないと思った。



私が食事に行っている間に検査が終わり


担当医が夫に入院するかを聞くと


夫は断った、ということだった。



次男はなんとか入院させようとしたが


本人の意志を無視して入院させるのは無理で


結局、投薬指示だけで帰ることになった。



大晦日におせち料理を食べながら


紅白を見て ビールを飲む、というのが


夫にとって 至福の時間だ。



アルコールなしで病院で過ごすなんて


夫にはあり得ないことだった。



それを説得できる力があれば


私たちは別居などしていなかっただろう。



私は 大晦日におせちを届けた。


それが 酒の肴になることを知っていても


そこに虚しさを感じていても。




そして 年が明け、お正月休みが終わり 


世の中が通常モードになった頃、



夫は亡くなった。ひとりで。



おそらくはヒートショックだったのだろうが


アルコール依存も遠因になったと思う。



あのとき


なんとしてでも入院させていたら


今でも 生きていたかも知れない。



年末にアルコール依存専門病院に予約して


年明けに診察を受けることになっていた。


ようやくそこまで辿り着けた。



だから


姥捨山でもなんでも、


夫を入院させて 断酒させていたら



アルコール依存専門病院に


うまくつなぐことができたかも知れない。



あのおせち料理がなくても


夫はアルコールを口にしただろうけれど



お正月だから おせちがあったから


きっとさらに量が増えた。




大掃除で見つけた一昨年の重箱は


そんなことを思い出させるのだった。




それは 今年最後の痛みになった。