お悔やみの言葉
お悔やみの手紙を受け取る。
気の置けない仲なのに
その文章はものすごく他人行儀だ。
その目的を考えれば
慎ましく、お手本のように正しい日本語で
大人の手紙としては花丸である。
けれども
私は どこかその花丸の礼儀正しさが
寂しいのである。
子どもか、という話なんだけれども
なんだか どうにも寂しいのである。
喪中見舞いという形である以上
その礼儀正しさと分別は必須なのだろう。
そして 友人たちの本当の思いは
その行儀の良い手紙の行間に
込められているのだろうけれど
なんだか
大人としての振る舞いって
他人行儀で寂しいものなんだな、と
わがままな私が心の中でつぶやいている。
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