センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

子どもでいられる時間は短い


月曜日の朝、いつも通る横断歩道で


先生に両手を握られ、向かい合わせになって


一歩ずつ進んでいく子どもを見た。



1年生らしきその男の子は


先生に手を握られたまま、ぴょんぴょんと


ジャンプしながら


「い〜や〜だぁ〜!」と叫んでいる。



わかるなぁ。行きたくないんだね。


何が嫌なのかな?


日曜日は楽しく過ごせたかい?



全身で行きたくない気持ちを表す男の子を


なんだか微笑ましく思いながら


その気持ちにものすごく共感したのだった。



大人だって 月曜日の朝は辛い。



きっと 彼の手を握っている先生も


ものすごく共感していたのではないか


などと考える。



全身で嫌だと訴えることができるなんて


子どもだけに許された特権だ。


私は どこか羨ましかったりする。



火曜日は学校に行けたかな?


水曜日の朝はパパとママが付き添っていた。



がんばれ、がんばれ。


学校は君たちのためにある。



短い、ほんの一瞬の子どもでいられる時間を


きっといつか君も懐かしく思い出すだろう。



泣いて 笑って 怒って


キラキラと生きている君たちが


羨ましい大人も ここにいる。