センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

 曖昧という盾



ふと


どちらでもいい、とかどちらでもない、とか


曖昧な答を選んでいる自分に気づく。



遠慮とか空気を読むとか 


そんなこともあるし



波風を立てたくないとか


余計な思惑からの防御とかもある。



曖昧は美徳。


その曖昧さが良いこともある。



でも、何でもかんでも


どちらでもいいって 



どうでもいいってことにつながらないかな?


ちゃんと考えることを 放棄してないかな?




誰かに どちらがいいかと尋ねたとき、


どちらでもいいって答えられると


ちょっとがっかりしたりする。




なのに、昨日


私には私の考えがあったのに



空気を読んで その考えを


呑み込んでしまった。



曖昧さを盾にして


自分を守ってしまった。



ちょっとずるくて 残念なヤツだ。




だから とりあえず



どちらでもいい、とか


どちらでもない、とか



曖昧さに逃げないで


どんな小さなことも 自分で考えて


自分でちゃんと選択しようと思う。



猫と犬と どちらが好き?


ど聞かれたら



迷わずどちらも好きって答えるけどね(⁠。⁠•̀⁠ᴗ⁠-⁠)⁠✧