センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

 誠実に生きること


小さい頃からの幼なじみがいる。



彼は 根は良い人間なのだが


どこか斜に構えていて 素直じゃない。



自営業でガス機器や水回りの製品を扱う。


もちろん それに関する工事も請け負う。



だが、彼はかなりちゃらんぽらんで


なかなかきちんとした仕事ができない。



たとえば


トイレのリフォームを頼むと



サイズの合わない製品を注文してしまう。


ちゃらんぽらんなので 慎重さに欠ける。



そして、


届いた製品を確認することもなく、



ダンボールをバリバリと破いて


中身も開けてしまうので 返品できない。



うちの兄が注文したものもそうだった。



工事が終わって 請求書を持ってきたのは


彼の母親で、申し訳なさそうに



本来なら


消費税分くらい値引きするところだが


間違った製品を返品できないので


値引きはできない。



自分の家には そういう返品できないものが


トイレだのお風呂だのに付いている。



と嘆くのだった。




今どき、


トイレだのお風呂だののリフォームで


全く値引きがないなんて、ありえない。




しかも、発注ミスはこちらの責任ではない。


息子の教育をやり直せ、という話である。




残念なことに 彼は全く学習しなかった。


何度もこうした発注ミスを繰り返した。



あるとき、私は彼が電話しているのを


聞いてしまった。



話の内容は


どこかの老婦人のお風呂のリフォームで


浴槽のサイズを間違えたらしいのだが



例のごとく


確認もせず、バリバリとダンボールを破り



さて、設置しようというときに


サイズ違いに気づいたというわけだ。



彼は、返品できないことを知り


また、どこかの家につけるからいい、と



悪びれもせず、涼しい顔で笑っていた。



どこかの家のお年寄りに 理由をつけて


押し付けるのだろう。



こういうことが平気でできるのだ。



本当に残念だが、


その後、うちの実家も含めて



彼に何かを依頼する顧客は激減した。


まぁ、当然である。






こんな人間はそうはいない、と思っていたが


我が家を建てた工務店の担当者も同じで、



きちんと確認する、という当たり前のことが


身についていなかった。



洗面台はお湯の出ないタイプが


間違って付けられており



もちろん取り替えてはくれたが


間違った方の洗面台は工事現場に放置され


もう新品とは言えなかった。



返品はできないだろうし


お湯が出ない洗面台を取り付けたい人が


そんなにいるとも思えない。



我が家に間違って付けられかけた外壁は


その後、どうなっただろう。



良心があれば、値引きして


どこかの家の外壁に勧めたかも知れない。



でも、そんな誠実さは期待できないので


セールストークで上手にその外壁を


どこかに押し付けただろう。



学習しない人間は


何度でも同じ失敗をする。



そして、そこに痛みを感じないので


気づいたときには 人が離れていく。



我が家を建てた工務店については


笑えるくらい、トラブルがあった。



誠実だと信じて契約をした私は


どれだけトラブルが重なっても


相手を信じたい気持ちが勝ってしまった。




結局、


自分が責任を持って建てるから、という


大工さんの真摯な対応が救いとなり



どうにか 家は完成したのだった。



その後、


その工務店は 社名を変えた。



変えざるを得ないトラブルが


他にも重なったに違いない。



誠実に生きることって 


意外に難しいことなのかもしれない、と


私自身も 学習したのであった。