センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

 理想と現実



いじめが原因で自殺したとされる、


ある中学生の通っていた学校では


月に1回の「いじめ等対策委員会」を開く、


ということが基本方針になっていた。



しかし、


ある年度に一度も開かれていなかったことが


調査でわかり、第三者委員会報告では


問題だとされた。





今はきっと どこの学校でも


こうした会議を取り入れているだろう。



私が支援員として配置された学校でも


毎月、「いじめ等対策委員会」が開かれた。



私も時間外だったが、


何回か会議に参加したことがある。



参加してみて思ったのは



結局、机の上で考えられたことは


形骸化してしまう、ということだった。




その会議がきちんと機能している学校も


きっとあるだろう。



しかし



私が参加した会議で


いじめ案件が報告されたことは一度もない。




保護者から子どものいじめに関する、


強いクレームがあったときでさえ


担任からの報告はなかった。



そのクレームを受けたのが教頭で、


もちろん校長も知っていたにも関わらず。




その会議で報告されるのは


クラスの誰がどんな障害や病気があるかとか


簡単なクラスの現状などだった。



それも毎月、ほとんど同じ内容だ。




学校の中で 一つもいじめがないなんて


ありえない。



発達障害の子どもがターゲットになるのは


よくあることだ。



それでも 一度だって


いじめの報告は なかった。



自分のクラスは落ち着いている、


という意味のないアピールが続いた。




きっと


いじめの報告などすると


面倒なことになるのだろうな、と思う。




いじめの当事者への聞き取りとか


保護者への連絡とか


管理職への報告だとか




報告書の提出もあるかも知れない。


学校もお役所も 書類の提出が必須だから。





学校の先生が 子どもをいじめる例もある。



各クラスの担任は 一国一城の主だから


その中では 暴君であっても


外からはわからない。



差別もある。えこひいきもある。


先生も ものすごく人間らしい人間なのだ。



私の行っていた学校が


たまたまそんな所だったのか?



そうは思わない。



支援員の研修に行くと、


他の学校の支援員から びっくりするような


報告が出たりする。



それでも それを聞いた教育委員会の人間は


そんな事例はなかったことにしてしまう。



「いじめ対策等委員会」のありようと


全く同じだ。



何かが起こると


問題視して アクションを起こすが



机の上だけで考えるから


やがて形骸化していく。




先生は忙しすぎる。




形骸化したことに時間を費やすから


さらに形骸化が進む。



これが 理想と現実とのギャップ。



「いじめ対策等委員会」が


年度中に一度も開かれなかった事実より



形骸化しているから 意味がなくて


必要とされていない、ってことの方が


問題だと思うのだけれど。