センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

 駅のホームで



久しぶりに前の仕事の仲間たちと会った。



職場に出かけ、


何も変わらない、そのままの雰囲気に


嬉しくなった。



そして



いっしょに働いた人たちが


なんだか 柔らかになっているのを感じた。


吹っ切れたような 柔らかさだった。







正規職員が ほとんど辞めることになったと


今月に入って聞いた。



辞めることになった理由の根っこは


私と同じだろう。



昼休憩もろくに取れない職場で


残業をするのはあたりまえの職場で



どうしたら


みんなが もう少し楽に


本来の仕事に集中できるのかを



それぞれが必死に考え、必死に動いて


働いてきたけれど



トップには その思いが届かなかった。



人に寄り添う福祉を目指すことが


ビジネスとして回していくことばかりに


力が注がれ、過剰なサービスとなって 


職員をどんどん疲弊させていく。



結果として 


そのサービスが わがままや


自立を阻む結果につながり、


さらに モンスターを生み出してしまい、


その対応にさらに疲弊する。



学校とよく似ている。



そんなジレンマや一貫しないトップダウンに


みんなが振り回され、悩み、諦めてきた。



この年度末、ひとりが折れてしまうと


次々にみんなが折れてしまったようで



ドミノ倒しのように、


退職ラッシュとなったのだった。






やっと 辞める決心がついて


みんな どこか 解き放たれて


それが 柔らかな雰囲気になったのだろう。




また、会おう、と約束して別れ



ひとり、駅のホームに立っていると


どうしようもない寂しさに襲われた。




自分が辞めたときには



駅の改札でカードをタッチしたとき


無事にゴールできた、という気持ちだった。




自分の方が先に辞めたのに


みんなが辞めてしまうことが


どうしてこんなに 寂しいのだろう。




もう若くはない私たちが


まるで 卒業生になったみたいで



駅のホームで 


自分の気持ちに ずっと とまどっていた。