センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

 ひとりの死


今の政権のあれやこれやは


何の驚きもなく、


やっぱりね、くらいの感想なのだが



ナワリヌイ氏が亡くなった、


というニュースは、かなり衝撃だった。



そして、推測されるその亡くなり方も


その非情さは想定内だと思いつつ、



文明の進んだこの時代になっても


こんなことがあたりまえにあるのだ、


という事実にぞっとする。



そして、それは


私たちに全く関係のない、異国の出来事で


この国では起こり得ないことなのだ、と



そう信じることができなくなっている、


という現実があるからだと思う。



政府が国民を騙すなんてありえない、と


もう誰が信じられるだろうか。



異国で起こっているありえない現実が


この国に全く無関係だ、などと


もう能天気に考えることなどできない。



ロシアとウクライナの戦争は


多大な人的被害を出して、泥沼だ。



戦争の大義という名のもとに


平穏な日々を差し出して


1度きりの人生を差し出して



そうして得られるものは何だろう。


誰のための何のための戦いなのか


散った命は知る由もない。



今年は世界中で大事な選挙が行われる。



そのトップに立つ人間によって


世の中が大きく変わるのであれば


私たちは、もう他人事ではない。



そして、私たちの国も


この平穏な日々を


1度きりの人生を



あたりまえに差し出さなくてよいように


無関心という鎧は脱ぎ捨てて



ちゃんと選択をしていかなければ、と思う。



ナワリヌイ氏の死が


彼の国に何をもたらすのかはわからない。



ただ、


死してなお、不当な扱いを受け、脅され


それでも、闘うナワリヌイ氏の母に



その強さを思うより


表に出ないその深い悲しみに、


同じ母親のひとりとして、胸が痛む。



どんなに生きていて欲しかっただろう。



歴史に名を刻まなくていい。


人々から尊敬されなくていい。



ただ、生きていて欲しかっただろう。



この大変な年を


人々が正しく選択していけるよう


ただ、ただ祈る。



ひとりの母親として


切に切に願う。