降りて行くときに見える景色
自分の気持ちを吐き出す、ということは
時には大事なことだと思う。
でも、常に思ったことを口に出すというのは
違うと思う。
御歳79歳はついに退職した。
と言うか、ブチ切れて辞めた(・o・;)
勤め始めてからずーっと、
思ったことを口に出し続けていたので、
みんなが閉口してしまい、
トリセツの必要な人になってしまっていた。
年齢相応に耳が遠く、
あるあるの聞こえているフリもあり、
それも誤解を生む要因になっていた。
残念である、としか言葉がない。
私たちシニアは、心や気持ちはまだ若い。
だから、
体の衰えとの間にギャップが生まれる。
耳が遠い、とか、理解が遅い、とか
手も足も思ったように動いてくれない、とか
そういうマイナス面を受け入れることが
なかなかできない。
そういう自分の衰えと
折り合いをつけていくしかないのだけれど、
なかなかうまくはいかない。
私自身も、これくらい大丈夫!と無理すると
そのダメージからなかなか回復できない。
年齢を重ねるって、こういうことなんだな。
高い所から一段ずつ降りて行く。
嫌でも何でも降りて行く。
登るときの高揚感はないけれど
降りるときの景色もまた良いのだと
気づいていかないとね。
ブチ切れて辞めてしまった彼女は
きっと、何かを後悔するだろう。
若いときみたいに
思ったことをバンバン口にする快感は
もう置いていかなくちゃね。
できないことに無理をしない。
わからないことをわかるフリをしない。
意地を張らない。見栄も張らない。
そうやって階段を降りて行くことも大事。
そうして、その降りて行くことを
みじめに思わないことも大事。
バトンタッチも悪くない。
それはそれで、自由になれるってこと。
楽に生きられるってこと。
いつかまた、
穏やかにお茶できる日が来るといいな。
階段降りて行くのも結構楽しいね、って。
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