センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

 手に入らなかったもの


人生において、手に入らなかったものなんて


山ほどある。



でも、1番はやっぱり


仲の良い夫婦っていうやつ。



手に入らなかったのは


私の努力不足もあるわけだけれど…



昨日、いつもの美味しいお店で


ランチを食べていたら



いつも丁寧な料理を作るご主人が


私が食べていたエビカレーについての説明を


してくれた。



そして、いっしょにお店を切り盛りする、


優しい奥さまに相づちを求めた。



「ねぇ、◯◯子さん」



お〜、奥さまをさん付けで呼んでるんだ!


と私はほっこりする(⁠ ⁠ꈍ⁠ᴗ⁠ꈍ⁠)



いいな、いいな。⁠꒰⁠⑅⁠ᵕ⁠༚⁠ᵕ⁠꒱⁠˖⁠♡


穏やかで、ほんわかした御夫婦で


奥さまを大切にしてるのがわかる。



母方の叔父は、叔母のことを「君」と呼ぶ。


初めて聞いたとき、とても新鮮だった。



「おまえ」とか呼び捨てじゃなくて「君」。


それだけでちょっと別格な感じだ。



若い頃、


真冬にお揃いのカウチンセーターを着て


寄り添い歩く老夫婦の姿を見た。



その後姿がとても素敵で


あんなふうに寄り添い歩ける人がいい、と


憧れたものだ。



それは淡く消えたまぼろし。


届きそうで届かなかった夢。



大切にできなかったくせに


大切にされたかった、と思う。




手に入らなかったけれど


だからと言って不幸なわけじゃない。



不幸なわけじゃないけれど


やっぱりそのまぼろしは時々頭をかすめる。



神さまはきっと忙しいから


時々、赤い糸を間違えて結ぶ。



間違いなんだけれど


自分で切ってしまうと、怖くなる。



手に入らなかったもの。


それは、ラムネの瓶のビー玉みたい。



目には見えてるのに


振れば音がするのに



手に取ることはできない。


取れそうなのに、絶対に取れない。



ポンコツ、凡人、小市民。


煩悩からは解き放たれず…



手に入らなかったものは数々あれど


ラムネ瓶のビー玉が


一番きれいだってことも気づいてる。



届かなかったものは、永遠に美しく輝く。