センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

 オンとオフ


オンとオフの切り替えが下手である。


どうしてもオフに仕事を持ち込んでしまう。



お盆前の数日、


発達障害のオレオレ君と高学年の子たちが


大いに揉めた。



発達障害の子たちのあるあるなのだけれど


空気が読めないので、


思ったことを何でもやり、言葉にする。



オレオレ君は、まだ指しゃぶりの癖がある。


私たち人間は指しゃぶりからスタートして


少しずつその癖を忘れていく。



オレオレ君は、その癖がまだ抜けないが


その癖によって心の均衡が保たれているなら


それを無理やりやめさせることは難しい。



傍から見たら、そりゃあ汚い。


その手であちこち触られたくはない。



私たちもやんわりと注意はするし


誰よりも保護者が注意しているはずだ。



生理的な癖は仕方がない。


けれど、周りの子たちは理解できない。



あれこれやらかしてくれるオレオレ君は


毎日のように大人に注意されているから


子どもたちもそういう存在だと下に見る。



子どもたちは容赦がない。


「汚い手で触んな!」と怒鳴り


そこから揉めだすと手も出る。



やられたらやり返す。


子どもたちの争いは不毛である。



これが人間の原点かも知れない。


今、起きている国同士の争いごとも


こんなもんだろう。






私たちは、何かとちょっかいをかけてくる、


高学年を注意するが、



彼らの言い分は


「なんで俺らだけ怒られんの?」


「なんで1年生にだけ優しくするの?」だ。



高学年5人に対して、1年生1人での喧嘩を


彼らは自分たちに正義がある、と信じる。



大きい子たちが、小さい子を突き飛ばして


泣かせていたら、


そりゃあ、怒られるでしょ?



喧嘩になるから、離れていればいいものを


わざわざ徒党を組んで、からかいに来る。



夏休みは学童にいる時間が長い。


子どもはすぐに飽きるし、退屈する。



だから、気に入らない相手を


わざとからかって、トラブルに持ち込む。



これもまた、あるあるのいじめだ。


空気の読めない、語彙の足らない発達障害の


オレオレ君は不利である。



オーナーは、双方の言い分をきちんと聞いて


オレオレ君も注意することが肝要だと言う。



それが理想なのは勿論のことだが



50人も受け入れる日に


その場にいるスタッフは若いバイトさんと


私の2人だけである。



しかも、発達障害の子は2人来ている。


加配はどうした?という話なのであるが



夏休みに入ってから


急速に体調不良者が増加した。



子どもにコロナ感染者が出たのに続き、


スタッフにも感染者が出た。



ぎりぎりの人数で回している現場で


懸念していたのがこういうことである。



冬になって、再び


コロナやインフルエンザやノロウイルス等が


流行り始めたら、と思うとゾッとする。



理想と現実とのギャップは大きい。



せっかくの休日に 私の頭の中で


こんなことがグルグルしている。



考えたって仕方のないことなのだけれど


ふと気づくと グルグルしている。



自分で自分の首を締めてるな╮⁠(⁠╯⁠_⁠╰⁠)⁠╭



さぁ、午後からは夫のお墓参りである。


強い陽射しを浴びているであろう墓地に


キンキンに冷えたビールを持って行く。



この世で 悩みながら生きてることも


実は幸せなことなのかも知れないけれど。