センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

 平穏に暮らす練習



今、この本が売れているらしい。





大人がやっても頭の体操になりそうだ。



この本を、ある情報番組が特集したとき


男性アナウンサーの言った言葉に


私はハッとした。



それは、実際にこの本のやり方で


二桁同士のかけ算をやってみよう、という


場面だった。



この計算にトライして、


正解を待っている間の男性アナウンサーが


こう言ったのだ。



自分はずっと 馬鹿であることを


必死に隠して生きてきた。



ホントはこんな計算が苦手なのだ、と。


だから、ものすごくドキドキしている、と。



それを聞いたとき、



あぁ、それは私だ。


私がそんなふうに生きてきたことを



この人は


こんなにも清々しく言葉にしてくれた。


そう思った。




そうなのだ。



私はずっと 馬鹿であることを


必死に隠して生きてきたのである。



ポンコツで、苦手なこともままあり


それでも、賢いふりをして生きてきた。



私は、一瞬でそのアナウンサーが


好きになった。



なんて正直な人なんだろう。


この人もきっと



自分のどこかにあるポンコツさを意識し


必死に賢くあろうと頑張ってきたのだろう。



30代のそのアナウンサーはきっと 


頑張って、頑張って ここまで来て



ありのままの自分でいいんだ、という


自信を手に入れて



ようやくその苦しさから


解き放たれたのだろう。



公共の電波で 


馬鹿であることを必死に隠して生きてきた、


と言える自分を手に入れたのだ。



素敵な人だなぁ、と思った。





人を上から見て


マウント取りに必死な人は



きっと 本当は弱い人だ。


どこかに自信がないから


必死にマウントを取ろうとするのだ。



頑張るところを間違えている、と思うけれど


それはそれで仕方ない。



私も お局様も


平穏に暮らす練習が まだまだ足らない、


ということだ。



精進するとしますかᕙ⁠(⁠ ⁠ ⁠•⁠ ⁠‿⁠ ⁠•⁠ ⁠ ⁠)⁠ᕗ