センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

 1枚の小判


中学生の頃、塾で使っていた問題集に


ちょっとした小話が載っていた。



勉強の内容はまるで覚えてないくせに


そういう小話なんかは覚えていたりする。



国語の問題集に載っていたその小話が


私は好きだった。



大体、こんな話だったと思う。





家来を連れて山道を通っていた殿さまが


小判を1枚落とされた。


小判は崖下に落ちて、簡単には取れない。



殿さまは、家来に指示した。


村人に報酬を出して


その小判を拾わせるように、と。



家来は反対した。


小判1枚のために報酬を出すよりも


その小判を諦めた方がよろしいのでは、と。



すると


殿さまはこう言った。




小判は拾わなければ 死に金になる。


しかし、村人に拾わせれば 小判は生き、


報酬は村人たちの生活に役立ち、生きる。


お金が生きる使い方をすべきだ、と。






素敵なお殿さまではないか。


きっと家来からも民からも慕われただろう。



お金の使い方には品性が出る。



誰かのために 何かのために役立つ使い方は


本当の意味で経済を回していくだろう。



崖下に落ちた小判1枚くらい、


捨て置いても構わない。



効率的なお金の使い方ばかり追求していると


人はどんどん心が貧しくなる。



誰も切り捨てられない世の中は


やってくるんだろうか。