センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

あの日の点が今の点に繋がるとき


自分が生きてきた過去のあの点と


現在のこの点がこう繋がるんだな、



と気づくことがある。



あの点とこの点がまっすぐに繋がって


1本の線になり 私自身の今となる。



若い頃には見えなかったけれど


歳を重ねて見えてくるものがある。




若い頃、友だちと二人で映画を見に行った。


地下鉄の階段を降りているとき


下から杖をついた初老の男性がやって来た。



そのまま降りると、その男性とぶつかるので


私が右側によけて道を譲った。



すると、その男性が



「なんでよけるんだよ!


そういうことが傷つくんだよ!」



と、すこし呂律の回らない様子で 


私に言った。



なぜ、その人に怒られるのか


私にはさっぱりわからなかった。



ぶつからないように道を譲ったのに


それがなぜその人を傷つけることになるのか


理解できず、理不尽な文句に思えた。



その口調に 友だちは


「なに?酔っ払ってるんだよ」と怒った。





その後、結婚し、子どもを産み育てる中で


長男の発達障害がわかった。



発達障害についてたくさんの本を読み


学ぶ中で



障害には先天的なものと後天的なものがあり


後天的な障害の方がずっと多いことを知る。



先天的な障害にも困難はもちろんあるが


おそらく


後天的な障害の方が受け止めるのに


時間がかかる。



障害のない頃の自分を知っているからだ。



このとき 初めて


あの日の点が今の点に繋がった。



おそらく


あの日、私に怒ったあの人は



後天的に障害を負い


杖をつき、呂律がまわらなくなった。



そういう自分を受け止めるのに


まだ日が浅く、とまどっていたのだろう。



周りの反応も 障害を負う前と異なり


そこにも きっと傷ついていたのだと思う。




私は 


その人に障害があるからよけたのではなく


ぶつからないように道を譲っただけだけれど


その人には そう受け取れなかったのだ。






人が何に傷つくかなんて


わかるようでわからない、と前に書いたが



そういうものなのだ。人の心って。



それでも 歳を重ねて


一つの点が今の点に繋がり



わかるようになることもある。



歳を重ねていくことは


失うことばかりじゃない。



自分の痛みと共に 人の痛みも


わかるようになるのなら



それもまた成長だ。



今日の点もまた未来のどこかの点に繋がる。