センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

 愚かなプライド




昨日の夕方


洗濯物を取り込んでいたら



ふと、給食当番の白衣のことを思い出した。



長男が小学2年生のときのことだ。




冬休みが終わって 給食が始まった頃、


連絡帳を通じて 担任の先生から



 長男が使っていた白衣の帽子がない。


 家にないか調べて欲しい。



という連絡があった。




冬休みが始まる前の給食当番は


長男たちの班だった。



先生は 冬休みが入るので


白衣を忘れないようにと



早めに給食袋を持って帰らせ、 


洗濯したものを冬休み前に回収した。



年が明け 最初の給食のときに


次の給食当番がそれに気づいた。

 


その回収した給食袋に


白衣はあるが、帽子だけ無かったのだ。



驚いた。



洗濯して アイロンをかけて 


落としたり、汚れたりしないように


ランドセルの中に入れて持たせたのだ。



帽子だけないなんて ありえない。



年末にきちんと持たせたつもりだけれど


念の為に家でも探してみます。



と連絡帳には返事を書いた。


そして 一応、家の中を探してみた。



もちろん、なかった。


白衣と帽子はセットなのだから


帽子だけ入れ忘れたりはしない。




連絡帳に 



家にはなかったこと、


ランドセルの中に入れて持たせたので


落としたりはしないはずだと思うと書いた。



しかし 先生は諦めなかった。


今度は家に電話が かかってきた。



連絡帳に書いたことと同じことを話すと



先生は ものすごく上から



「いいですよ、いいですよ、お母さん。


失くしても予備の帽子がありますから。」



と、ちっとも良くはないんだけれどね、


というような



ものすごく嫌な言い方をしたのだった。




私は 電話を切ると パニックになり


物凄い勢いで家中をひっくり返して


その帽子を探した。



探して 探して 探して


疲れ果てて 諦めた。



長男に 先生はなんと言っていたのか


尋ねてみた。



先生は 彼に


「どうせおまえがなくしたんだろう」



と何度も言ったのだった。




親の私にでさえ 


その感情を抑えられなかった人である。



長男には もっとしつこく


嫌な言い方をしたのだろうと



私は 胸が痛かった。




その1月は それからずっと


私の気持ちを滅入らせた。






月末、長男が持ち帰った学級だよりを読むと


そのプリントの裏側に




一部の生徒に給食の帽子がなかった件は


冬休み前の最後の給食のときに



もう既に洗濯済みの白衣は着せず


帽子のみを先生が出して


給食当番にかぶらせたが、



その帽子は先生が洗濯のために持ち帰った。


それを失念していて、申し訳なかったと


書いてあった。




驚いた。そして、腹が立った。




先生が失念していたそのことにではない。




私にも 長男にも


あんなにしつこく 決めつけたような


嫌な言い方をして



私も おそらく長男も 


とても悲しい気持ちになっていたのに



先生は もっと早くにわかったであろう、


この事実を



月末の 学年だよりの それも裏側に


ペラッと書いて終わりにしたのである。



あんな言い方をして


自分が持ち帰っていたなんて


バツが悪くて 言えなかったに違いないが



その帽子を血眼になって探していた、


私の時間と ずっと鬱いでいた私の気持ちや


しつこく犯人扱いされた長男のつらさは



先生のプライドよりも


ずっと軽いものだったのだろう。




何故、


電話でひとこと伝えてくれなかったのか。


何故、


ひとこと謝ってくれなかったのか。



私は 今でも あの先生に聞いてみたい。



そういう自分が嫌になりませんでしたか?


そのプライド、役に立ちましたか?