センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

「道楽みたいな仕事して」

発達障害の子供を支援する仕事を始めた時、


もう夫とは別居していた。





毎朝、2時間目から入り、


5時間目が終わると、勤務終了だった。



私が支援する子供たちは


自閉症スペクトラムだったり、


ADHDだったり、学習障害だったり…



個性豊かで、


大変なこともあったが、


私はこの子たちが好きだった。


手がかかって大変な子ほど


なんだか魅力的で、


だからこそなんとか勤務が続けられた。






問題は先生だった。



これは恐らく、


教育支援員として子供を支援する人や


介助アシスタント、学校看護師など、


一度は感じたことがあるはずだ。



支援員研修に行くと、


あちこちで学校に対する不満や


先生との関係に苦労する声が聞かれた。



好意的な先生ももちろんいる。


素晴らしい先生ももちろんいる。



しかし、


自分のクラスに人を入れたくない先生は


本当に多かった。


「いらない


と言われたら、どうしようもない。






何がそうさせるのか


先生同士でも序列があった。



管理職とか、そういう話ではない。



学校には正規職員だけでなく、


常勤講師という人もいる。


正規職員と同じように担任を持つ人や


算数の補助に入る人、


音楽だけを受け持つ人、色々だ。



担任を持って、全く同じ仕事をしていても


講師というだけで、下に見る先生がいる。



算数の補助に入る先生を


時間割をわざと変更して入らせなかったり


算数の時間中、


ずっと掲示物の整理をさせたり…



それが大先輩の先生であっても、だ。





休日に旅行に行ったおみやげを


嫌いな先生の机には置かないとか



指導を仰ぐ先生に


「タイミングを考えて!」と


スルーしたり、



子供のような意地悪もあった。




管理職は隠語で悪口を言われていた。


校長が1、教頭が2、教務主任が3。


「2が仕事できないからさぁ」


という使い方だ。



職種に関わらず、


どんな職場でもあるあるの話だろう。



けれど、


学校はそんな場であって欲しくなかった。






自分に悪意が向かなくても


そんな悪意を見聞きするだけで


酸素が薄くなる気がした。




学校へ向かう途中に


镸い階段があったのだが、


その途中で立ち止まり、



「いつかこの階段を


 もう登れない、動けない、


 と、思ってしまったらどうしよう。」




 と、不安になったことがある。




日曜の晩は、


いつもサザエさん症候群で




転職サイトを閲覧することが


お守りみたいになっていた。




出勤して、


職員室のドアを開ける前には


  「がんばれ、私!」


と、自分を励ますのが常だった。




だから、



別居していた夫が



「道楽みたいな仕事して。」



と、思いきり上から言ってきたときには




 だから、私はこの人と暮らせないのだ。




  と、憂鬱なため息をついたのだった。