センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

お金の教育

次男が中学に入学したとき、


入学式後の初めての保護者会で


学年主任が話したことは



   殆どお金のことだった。




普通は、中学校の生活のこととか


勉強や学校の決まりだとかが


メインになるものだけれど、


その先生は違った。







小学校のときは、給食費を含めて


こんなもの(金額)でしたよね?


それが、中学に上がると


こんなもの(金額)になります。


さらに、高校に上がると


これだけ(金額)の費用がかかり、


私立になれば、ざっとこの倍になります。



こんな具合に


次々と、お金の話で進めたのだった。



私は少し驚いたのだが、


後に、この先生が意図したことが


とてもよくわかる日が来た。







次男が高校に入学したとき、


その入学式の会場では


あちこちの保護者の輪の中で


「奨学金」という言葉が飛び交っていた。




「うちは奨学金だから。」


「うちも奨学金よ。」


「うちだってそうよ。



それは、3年後に控えた大学に関する話で、


大学進学は、奨学金が大前提の話になっていた。



返す必要のない奨学金もあるにはあるが


その恩恵にあずかれるのは


ほんのひと握りだ。







2年の春になると、進路担当の先生が


試験のことではなく、受験料の話をした。



毎年、3年の秋になると


初めて受験料の金額に驚き、


受験を断念せざるを得ない生徒が


必ず出てくる。


お金の問題は、保護者の責任において


必ず今から考えて欲しい、と。




長男と次男は別々の高校に進んだが、


長男の学校でも、全く同じことを言われた。




つまり、


どこの学校でも、


同じ問題を抱えていた、ということだ。




次男が大学受験をする頃、


奨学金を希望する家庭は


全体の50%と報道されていたが、


次男のクラスの割合も全く同じだった。






やがて


その奨学金が、


家計を圧迫するという問題が、あちこちで


報じられた。




二人の息子を持つ幼なじみは、


息子が結婚を決めるときには


相手が奨学金を抱えていないか


調べる必要がある、と言った。



若い夫婦が二人とも奨学金を抱えていたら、


子供なんて育てられない。



  そう言って、笑った。





お金が全てではない、と言うけれど



お金がなくては生きられない。



子供を育てる上で


お金を貯められる時期は短い。




あの日、


中学校の先生が話してくれたことは


今に続く問題を


既に見通していたのかも知れない。





子供にお金の教育をという意見に、



     私は賛成だ。