センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

明日の自分を助けるために

勉強は何のためにするのか、


という問いは永遠のテーマだろう。



昔は


たくさんの公式とか


ひたすら続く書き取りとか、




こんなことが、何の役に立つのか


さっぱりわからず、


授業中はぼんやりと別の世界を旅してた。



真面目に聞いてる振りをするのが


とても得意な子供だった。






大人になって


自分の子供を育てていても


勉強は何のためにするのか?


という問いに


明確な答が出せなかった。







今、


もしも同じ問いを投げかけられたら 


私はきっとこう答えるだろう。




「明日の自分を助けるために。」



「未来の自分を守れるために。」



そして、


「いつか誰かを守れるために。」






世の中は公平でも平等でもない。


勧善懲悪なんて絵空事だ。



何が本当で何が嘘なのか


魑魅魍魎が世の常だ。



そこを生き抜くのは


それほどたやすくはない。



自分に蓄えられた知識と


それを使いこなせる知恵とが



いつか自分を助けてくれる。


それが、誰かを助ける力にもなる。




意味なく思えるその学びは


いつかのための準備なのだ。



こんなことが何の役に立つのかと


口を尖らせていたあの日の自分に



「自分を守れる自分になれ」



と、伝える術はないけれど。