センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

人生は「面倒くさい」

小学校で支援員をしていた頃、


子供たちから毎日のように聞いた言葉は


   「面倒くさい」 だった。



板書をノートに写すとか、


国語で漢字を書くだとか、


とにかく淡々と続けることが


   「面倒くさい」のだった。



午後からの書写なんて最悪だ。


給食でお腹はいっぱい。


昼放課で思いっきり遊んで、


5時間目はいい感じに眠くなる。



そこにただひたすら書き写す作業なんて


子供たちには拷問に等しい。






私が支援に付く子は


特にこういう作業が苦手だった。


なだめすかして鉛筆を持たせるのに10分、


そこから書き始めるのにさらに5分。


スタートラインに着くだけで15分だ。



1行書いては休み、


消しゴムで遊び始め、


再び鉛筆を持つのにさらに5分。



書き順もめちゃくちゃで



漢字はともかく



ひらがなの書き順が違うって、


   どういうこと?




しかし、


そこをいちいち直すと


さらにテンションが下がり、進まない。



「面倒くさい!」「面倒くさい!」



お経のように繰り返すのだ。





わかるよ、わかる。


こんなことが何の役に立つのかって


うんざりするよね。




でもさ、


人生は面倒くさいことの塊なんだよ。


ずーっと、ずーっと、面倒くさいんだよ。



消しカス飛ばして遊ぶ子供を見ながら


私は心の中でぼやいてた。




先生だって眠そうだ。



あと10分でチャイムが鳴る。


とても終わりそうにないページを見つめ


この修行が早く終われと念じる。



子供はと言えば、


もう既にぼんやりと別の世界に旅立っている。


  おーい、戻っておいでー!



面倒くさい世界に連れ戻すのも


私の大事な仕事なのだった。







大人の日々の生活も



  いつだって面倒くさい。