センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

 子どもの居場所


前に務めていた放課後等デイサービスでは


発達障害の子どもだけでなく


不登校の子どもにも対応していた。



不登校の子どもたちに共通していたのは


保護者が皆、子どもの言いなりだったこと。


主導権はいつも子どもが握っていた。



小学5年生の男子は、小柄な子どもだったが


母親はいつもその子どもに怯えていた。


家庭内で暴力を振るうからだ。



小学5年の女子は


施設に来ると、勉強などは一切しないで


興味のある料理だけやって帰って行った。



小学1年の男子は、ひどい偏食で、


協調性のない、わがままな子どもだった。


両親は必死に彼の機嫌を取っていた。



社長は、子どもを沢山集めることが第一で


だから、どんな子どもも引き受けたし、


保護者の希望を何でも聞いた。



それが、どんなに現場を疲弊させ、


保護者や子どもをわがままにしてしまっても


利益を増やすことが最優先だった。



だから、子どもは大事なお客様で


彼らを受け入れる現場も言いなりになる。



家庭内暴力の子どもの母親は


施設が何とかしてくれる、と期待したが


その子どもは来ないことの方が多かった。



ひとりで料理だけをして帰った子どもは


いつまで経っても、やりたいことしかやらず


施設の子どもたちとの交流もなかった。



1年生の子どもは、母子共に担任と合わず、


母親はフリースクールを作ることを念頭に


子どもが不登校であることを受け入れた。



学校なんてね、行かなくてもいいんだよ。


何も困らないんだよ、大丈夫。



今やこの方向がスタンダード。



次男が不登校になったときも


学校の対応はこれだった。


まるで、マニュアルがあるみたいに。



でも、誰もがみんな


学校に行きたくないわけじゃない。



不適切な担任の指導や、イジメや


それがなければ行きたい子どもだっている。



行けないことと、行きたくないこととは


イコールじゃない。



子どもの気持ちを最優先することは大事だが


その子どもだって、迷ったりしてる。



学校なんてね、行かなくてもいいんだよ。


何も困らないんだよ、大丈夫。



ホントに行かなくてもいいの?


ホントに何も困らないの?



背中を押して欲しい子だっているよ。


行かないことが苦しい子だっているよ。



大人が大人の責任を放棄しないで


子どもの教育を受ける権利を


ちゃんと保証しなくちゃ。



先生も子どもも行きたくないような、


今の学校のあり方を問い直さなくちゃ。



子どもが傷だらけだったら


大人だって傷だらけになる覚悟が必要。



子どもの居場所は、大人が作るもの。



学校に行きたくない子も


学校に行きたくても行けない子も


どうしたいのか迷いの中にいる子も



全部いっしょに混ぜ込んで


「学校なんてね」とか


「大丈夫」とか



保証できないことを断定してしまうのは


とても無責任なことだと思うのだけど。