センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

 夫の恋


次男が東京に発つ前に


連れて行ってくれたグリルで


次男がポツリと呟いた。



「学生が行くような店じゃないね。」



確かに


価格帯は少し高めだし、雰囲気が大人だ。


でも、ランチで利用してたのかも知れないし



ちょっと背伸びして 夜のデートに


利用していたのかも知れない。



学生時代だけではなく。





結婚したばかりの頃、


ひとり暮らしの面倒くさいあれこれから


やっと解放された嬉しさで



夫は 自分の年賀状を書くことさえ


私にスライドさせた。



前年の年賀状を私に見せて


1枚、1枚、自分との関係性を説明した。



その中に 


ご夫婦で写っている年賀状があった。



ご夫婦共に


夫が仕事でお世話になっていると言う。


優しそうなご主人と美しい奥様だった。



翌年のある日、


その奥様から電話が入った。



名前を聞いて あの美しい奥様だとわかり


「いつもお世話になっております。」


と言うと



電話を通してでさえわかるほど


その人は動揺して しどろもどろになった。



年賀状の写真は


落ち着いた、理知的な感じがしたので


その動揺が 少し気になった。



しかし


夫との新生活は日々忙しく、大変で


そんなことは いつか忘れてしまった。



あるとき



夫が 酔った勢いで 


今の会社は転職してきたのだと話し始めた。



その理由を聞くと、


仕事が忙しくて、大変だったこともあるが、


失恋が原因だと話した。



前の会社で 年上の女性を好きになった。


その人には 恋人がいて


横恋慕だったから、


バチが当たったんだ、と笑った。



それ以上は 


何を聞いても 笑ってごまかした。






あの人だ、と思った。


年賀状に写っていた、あの美しい人だ。



「横恋慕したから、バチが当たった。」


という意味がよくわからなかったが、



おそらく


その美しい人は、ご主人と


年下の夫と 同時進行で付き合っていた。



けれども



ご主人を選んだのだ。 



2人は結婚した。


3人が互いによく知る間柄で


同じ会社には居づらかったのだろう。



夫は別の会社に転職した。





転職してからも 会社の仕事を


その女性に依頼していたので


少し 未練があったのかも知れない。



年賀状を私に書かせた夫の気持ちは


わからないけれど



あの女性の動揺した電話は


夫の切ない恋を推測させるのに十分だった。



あのグリルは


もしかしたら あの女性との思い出の場所で


私を連れて行きたくなかったのではないか。



あんなに何度も店の話をしていたのに


連れて行くとは ついに言わなかった。




切ない恋の話を


今なら いくらでも聞いてあげたのに。