センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

あっという間に転がり落ちる

前に、多重債務についての記事を書いた。



多重債務は特別な人の特別なことではなく、


ちょっとしたライフイベントが


その入口になることもある。


他人事の話ではない、という内容だ。








実際



我が家も危なかった。




夫が購入した建売住宅は


私と出会う前に購入したものだった。



義父と離れたい義母は


義姉が住む街で 家を買うように


夫に勧めた。



当時


義母が夫名義で貯めた貯金が


3年後には満期で500万円になる。


それを購入資金に当てるから、


と、話は進んだのだった。





婚約したとき


母は 若いのに家を買うなんて立派だ


と、夫を褒めていたが、



結婚後の夫に言わせれば


「お袋が欲しがったから」に過ぎなかった。



夫は高収入ではあったが、


大学卒業後からの一人暮らしは


全て外食で、飲みたいだけ飲む生活で



お金なんて貯まるわけがなかった。



夫は結婚前に 月収は教えてくれたが



購入した家が


3年後に満期になる500万円を当てにして


頭金も 初期手数料の120万円ほどを


支払っただけに過ぎなかったことは


教えてくれなかった。




3000万台後半の住宅ローンは


毎月10万円、ボーナス払い50万円の


ステップローンだった。



ステップローンは、当時よく利用されたが


借り入れ当初5年までは低金利で


6年目から、いきなり金利が上がる、


とてもリスクの高いローンだった。



よく


家賃なみの返済、と言われるが


夫もそれを鵜呑みにしたひとりだったのだ。



ボーナスは年2回、100万円ずつあった。


結婚した頃は 期末賞与もあった。


毎月払いの10万円は半分を親が負担したし


夫にすれば 楽勝だった。






しかし



次男が生まれた頃、


国のちょっとした方針転換で


夫の会社は


あっという間に 業績が悪化した。



まず、夏のボーナスが無くなった。


冬のボーナスはなんとか出たが


それが最後のボーナスになった。



50万円のボーナス払いは


我が家の家計では 2年が限度だった。



まだ、500万円に達してはいなかったが


義母が貯めた預金を崩すしかない。


しかし、それを払ったところで


ボーナス払いは続くのだ。



しかも、6年目からはさらに支払いが増す。



夫には 義父母と相談をしなければ、と


勧めたが、


老後の余生を送る親には


心配をかけたくない、と夫は頑なに言った。



お尻に火がついている状態でもなお


夫は思考停止をしているようだった。






親から守られて生きてきた甘ちゃんの私も


幼い子供を抱えて、途方に暮れてもいられない。



毎日、必死に新聞をめくり、


必要な情報を手繰り寄せ、


やっと 借り換えという手段を見つけた。



夫に伝えると、


それくらい、自分も考えていた、と


可愛げのない言い方をしたが


とりあえず


それでなんとかしのぐことができた。





それよりずっと前に



毎月のローンの半分を振り込んでくれていた


義母から、


送金が止まったことがあった。



それは、ひと月やふた月ではなく


それなりの額になった。



私のお腹には長男がいて


検診は保険適用外だったし


家計は苦しかった。



私は独身時代の貯金も崩していたが


義父母も何か


送金できない理由があるのだろう、と


夫にも、義父母にも請求することが


できなかった。




出産間近になって


預金通帳がマイナスになっているのを見て


夫は


  「何に使っちゃったんだ!」


  と、不機嫌に責めた。




ちゃんと通帳を見れば


ローンの送金がないことは


一目瞭然だったのに。




その後


気づいた夫が義母に連絡し


再び振り込まれることになった。




「忘れていてごめんね。」


と、義母は言ったが



毎月、必ず年金から振り込んでいたものを


突然、何か月も忘れることはありえない。



どんな理由があったかわからない。


義母の心に何かの闇があったのだ。






誰かを信じて


それに頼るのは やめにした。



こんなふうに


ちょっとしたことで あっけなく


人生は転がり落ちていく。



絶対に 他人事ではない。