センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

 愛された記憶


私の母は瞬間湯沸かし器の人だった。



子どもの頃の私にとって


母はよそのお母さんとは違う、異質の人。



どこでその怒りに触れるかわからないので


いつもビクビクしていた。



大人になっても、それは変わらず


真夜中に私の名前を怒って呼ぶ母の声に


驚いて目が覚めたことがある。



もう、私は50代になっていたのだけれど


真夜中に心臓をバクバクさせ


夢か現実かを必死に確認していた。



もちろん、夢だった。


私にとって、母の怒りほど怖いものは


なかったのである。



作家の森瑤子さんが好きで、


昔、よく読んでいたのだが


森さんも母親との関係に苦しんだ人だった。



毒親、という言葉を耳にするようになり


母親との関係に悩んだ人たちの本が


次々と出版されると



母親との関係がうまくいかない人は


私が思うより、ずっと多いことに気づいた。




私の母は、子どもの頃に里子に出され、


戦争による貧困で、また生家に戻された。



私から見ると、母と祖母はそっくりだ。


プライドが高く、瞬間湯沸かし器。


そして、愛し方が下手。



だからなのか


母は祖母に愛されなかった。



結婚しても 子どもが生まれても


二人は衝突し続けた。



そのイライラの矛先は 私たちに向かう。



父は温厚な性格で、懐の深い人だったので


そんな母の気性をよく理解し、


いつも私たち子どもの味方になってくれた。



私は父がいたから、ねじ曲がらずに済んだ。


父に愛された記憶がしっかりとあるから


子どもたちを愛せた。



そして、今は


母のことがよく理解できる。



祖母と何度も衝突し、何度も憎み、


祖母が亡くなった後もお墓参りも行かない。



けれど


母は祖母に愛されたかったのだ。



どんなに冷たくされても


どんなに衝突しても



娘として 無条件に愛されたかったのだ。



祖母だって 


母のことが憎かったわけではない。



ただ、あまりにも性格が似過ぎていて


お互いに親子ではなく


ライバルになってしまったのだ。



人を愛することって なかなか難しい。


誰でも無条件で母親になれるわけじゃない。




母は愛されたかっただけなのだ、


ということがわかるようになって



もう、母に怒鳴られる夢も見なくなった。


母も、年老いて丸くなった。



過ぎた日々は決して戻らないけれど


誰かに愛された記憶というのは


とても大事なものだと思う。



家族でなくてもいい。


誰であれ 無条件に愛された記憶は



何があっても 人として


正しく踏み留まろう、という砦になる。



私も 母に無条件に愛されたかった。


夫にも 無条件に愛されたかった。



でも、父のように


いつだって別の誰かが愛情を注いでくれた。



私はその砦を大事にして


誰かをちゃんと愛せる人間でいたい、と


心から思うのである。