センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

 Noと言える権利


私は 選挙には必ず行く。



そして、


「そんなところに投票しても死票になる」


と言われるような党に、人に、投票する。



いつだって不動の安定性を保つ党には


絶対に投票しない。



常に同じ党が政権を担うのは


ある意味怖いことだと思っている。



別の政党が政権を奪ったとき


国民が期待したような成果はなかった。


失敗だった、と多くの人は判断した。



やっぱり、不動のあの党でなくちゃ、と


人々の落胆は安定性へと舵を切った。



私は残念に思っていた。


もう少し、長い目での我慢が必要だった。



何が失敗で、何が成功かなんて


そんなに早く結論は出ない。




失敗がなければ、成功なんて生まれない。



1党独裁が長く続くと


そこに偏りが生まれる。怖い偏りだ。




権力を握ると


自分の思想が全て正しい、と勘違いする。


国が国民のためにあることさえ忘れる。



よその国のことを批判してる場合ではない。


我が国は危ない。



あのモリカケサクラが


うやむやに削除されてしまったことも



改憲を力技でねじ伏せて進めたことも


政権のために特定宗教と握手していたことも



全て 国民を蔑ろにしているからこその


あれこれだ。



失敗があろうが 不安定だろうが


死票になろうが



私は 不動ではない党や人に票を投じる。


それが 私の唯一の盾だ。


Noと言える、唯一の権利だ。



だから、私は選挙に行く。


「どうせ何も変わらない」なんて言わない。



どんなに小さな力でも


Noと言える自由を守るために


私は選挙に行く。



それは 私にとって死票なんかじゃない。


Noとはっきり意思表示ができる、


ちゃんと生きている一票なのだ。